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無人称の時代(絵・ひがしもとしろう)

無人称の時代(1)



 ある真昼のまんなかで鳥たちが影を残して飛び立った。(一行目)
   *
 階段は季節はずれの美しい音ばかりが集められる場所なので、そっと歩かないとすぐに崩れてしまうのだと、誰かに、先に言われてしまったのだった。
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 白い坂道をのぼる。なんだか逆方向のエスカレーターの上を歩いているみたいで前に進んでいる気がしない。こんなことなら出かけなければよかった。一日じゅう部屋でごろごろしておくべきだった。真昼と真夜中のその星々を神様の太い眉毛の上にちりばめる、というメルヘンが失われた時代だと思う。
   *
 街並みは、まるで昨日のことのように素知らぬふりを決め込んで、僕の歩行を遠ざける(そう、僕から、僕の歩行を遠ざけるのだ)。いくら捜しても見つけることのできないきみの声。きみの影。……このまま、ここで、開き直るしかないのだろうか?
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 というような、うすぐもりの午後の備忘録。
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――昨日の鳥はきっと失意にあおざめたのだろう。
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(ふいに神様と目があって、
おたがい「あ!」と声をあげて、
そそくさと木陰に隠れた。)
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 昨日、予感が家出した。(一行目)
 いつ戻ってくるのかまったく予期できない。(二行目)
 なぜなら予期にも逃げられたばかりなのだ。(三行目)
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 書くことは常に〝踏み外しつづける〟営為である。
 とすれば重要なのは何を踏み外すか、ではないか。
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 言葉はいつも親しく近しいものだが、書物はいつも私との距離を埋めることのできないほどずっと向こう、彼岸にある。
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「鳥は鳥である必要はありませんが、人はなぜか人であろうとしますね?」
「うん、あるいは川の想念に沿って……」
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 記憶が、とりかえしのきかない経験であるならば、もちろん忘却もとりかえしのつかない経験である。はずだ。
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 死は生の証言のためにある。といってみる。たとえば柿の木のかたわらで。
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(ふいに神様と目があって、
おたがい「あ!」と声をあげて、
そそくさと木陰に隠れた。)
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 クモの巣が、僕の視野を――さかさまのまま――目いっぱいに広げてくれる朝、
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 と、さまようように考えている僕がいる。僕は何度も頭の中できみの輪郭線をなぞる。
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――ねえ、ここにきて。
――あなたとは、なんだか別々の鏡の中で話をしているみたい。
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 眠りにつく。たちまち僕は昼を失う。まるでつめたい果実のように。ああ、これはきみの世界の果実だ。
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 直感を思考する生き物でいること。今日は小指の爪を切りすぎてしまった。
 ガラスケースの内側でひっかき傷のように眠る珊瑚。
 鳴りやまないよ、饒舌の紐!
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 その日そのとき、いつもの会話を交わすにしろ、はじめての場所に行くにしろ、誰もがきっと出会い直しているのだろうと思う。何度も何度も蝶々結びの練習をする幼い子どもの手つきで。
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 ずっと泣いているのだときみは言った。いつから? と聞くと、「ずっと」だって。きみの目は乾いていたが、だからといって、泣いてないよ、とは言えない、言えなかった。
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 偶然の調和で懐かしい場所が発生し、時間の振動で懐かしい粒子がすぐ傍にいることはあるけれど。
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 けれども、このままだと僕たちは不出来な森になってしまいそうだ。
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「おやすみなさい、そしてばか」
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(ふいに神様と目があって、
おたがい「あ!」と声をあげて、
そそくさと木陰に隠れた。)
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 僕も、きみも、呼称の変わり目を見のがしてはならない。やけにしろく、まるい風。
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 おはよう。
 ゆっくりと眠れましたか。
 今日はどんな一日でしょうね。
 僕は何度、きみのことを思うのだろう。
 きみは何度、手を祈りのかたちにするのだろう。
 そっとそっと近づいて、
 そっとそっとよりそって。
 神様が僕たちのために小さな特集を組んでくれればいいのに。
「派遣社員の王子様とハローワーク通いのお姫様」、なんて。
 なんてことを考えながら、今日も仕事です。
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 紐が浮いている。(一行目)
 ひっぱると、街が流れた。(二行目)
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 酔ってます。きもちよくつらいです。あなたがきらいです。たださっきあなたといっしょだった、それがただすべてです。ケセラセラ~あなたの眼鏡かけてる、さいこう~!
 フランダースの犬、プレゼントは愛と同価なもの、愛ってなんでしたっけ? 小林秀雄様をアイソウ。もういない人だから永遠だわ。あなたとわたしはいまがすべて。だからあいとかいって抱き合ってみよう。あなたはもっと書くべきだったのに、愛なんて結婚なんてしないで。あああ~、書いてください。できればあなたのとなりでいま眠りたい。光栄です、ごきげんよう。祈って差し上げます。わたしやさしいから。
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 亀の甲羅のようにかたい雨。
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 朝、食パンをかじりながらニュース番組を見る。
「衆議院、解散しまーす」と政治家が言った。「選挙しまーす」他の政治家も言う。「しまーす」その他大勢の政治家も言う。「突然で、すみませーん」「せーん」「いきなりで、ごめんなさーい」「さーい」
 それから政治家たちはみんな目を輝かせながら浜辺をかけまわる。犬にお尻をかまれている者もいれば波打ち際に寝そべってたばこをふかしている者もいる。
 さあ、やれやれ! と僕は思った。さあさあ、もっとやってくれ!
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 しかし、その興奮もすぐに醒めて、僕は一人、チェスをする。
 しまーす。
 チェックメイト。
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 今日もまた、きみの仮死を引き連れて、記憶のない旅に出る。(一行目)
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 あおむけに寝転んでどこまでも伸びてゆくやわらかい影。(またもや一行目)
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 星、という、生まれたばかりの音楽。僕は書物を閉じて膝の上に置く。僕はいまだに僕を待っている。
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(そんなことをしなくても天使は逃げないよ。)
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 まだ庭つきの家に住んだことがない。だから、ちょっとだけ、憧れがある。庭があったら僕は何を埋めるのだろう?
 すると天使は笑って、月だ、と答える。月がいい、月にしよう、と。
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 突然、降り出した雨が僕の神経をちくちく刺激する。今はまだ、これが静寂なのか、痛みなのか、判然としない。
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 地図にない夏。素人の夏。読みかけの夏。僕はいったいどんな過ちを犯したというのだろう。今日もまた耳もとでセミが鳴きはじめた。
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(セミはなんにでも適応する。たとえば、牢獄にも、お経にも、熨斗にも、適応する。もしセミに五穀豊穣を願うのならそれは逆説を添い遂げることになるだろう。僕は、だからセミが嫌いだ。)
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――この胸の嫌な感じはいったいどこから来るのだろう?
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 今日は退屈しのぎに石鹸を三つ買った。夕暮れの道にはたくさん「汽船のある風景画」が捨てられていて、このまま夏が、崩れ、て、いくなんて、考えら、れ、ない。
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 チェスという頭蓋骨との対話。僕はまた昨日と同じタイミングで行き詰まる。
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 僕はもうずっと、きみに手紙を出せずにいる。(一行目)
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「きみは毎朝、王妃を装って温順に銃声を響かせる――そう、それはきっと、数が合わないことなんだね」
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 喉もとを流れる星の軌道に気づくとき、僕も、きみも、いつわりのない天文学者だ。しかし、ひとたびそれを解釈しようものなら、僕も、きみも、たちまちここのことを忘れてしまうだろう。ああ、どうして僕たちはなんでも無理に解釈しようとするのか……知らないふりをしつづけろ!
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 たしかなものがたしかなのではなく、ふたしかなものがふたしかなのではない。たしかなものにも、ふたしかなものにも、物語はある、平等に〝述語〟があてがわれているということ、それが肝要なのだ。
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 汚れた手拭いを振るように、激しく降る夕立。(今日の午後はきみのために思考を一切、停止すべきだった。)
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 きみに返し忘れたデジカメで、窓ガラスに付着した一滴の雨を撮影する。さて、僕はいったいどこの民族のどの肖像に該当するのだろう?
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(ふいに神様と目があって、
おたがい「あ!」と声をあげて、
そそくさと木陰に隠れた。)
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 ところがだ、と僕は思う。ところがだ――もうすでに、つぎに引っ越す場所は美術館だと決めている。しかし、つぎに、という、ゆるやかなものの言い方が、はたしてその機会はめぐってくるのだろうか、という、いちまつの不安をもあおり立てる。
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 きみとの思い出をたぐればきりがない。なぜならそのほとんどがでっちあげかもしれないのだから。
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 まち。いびつにゆがんだまち。ひどくみにくいまち。車輪や看板や人影だらけのまち。どこか薄い皮膜におおわれていて、お通夜のように湿っぽい。まぶたに退屈まぎれの苔が生えやしないだろうか。とりあえずビルをすべて矩形のモグラだと思うことにしよう。
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 散歩のあとは決まって泳ぎ疲れた魚のように眠る、ということ。(二行目)
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 その夜、コップの底にある、わずかに残った水を眺めるだけでも、溺れてしまいそうだった。
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 やさしい人から柩に入っていく。(これは誰の柩?)
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 なんて情熱のない、まだるっこしい夜明けだろう! カーテンを引き、ベッドにダイブした。
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〈ながあめが、すっかりこの村の筆順を洗い流してしまいました。ぼくも、もう、ことばをわすれてしまいました。ほんとうに、もう、なにも書けません。書けないのです。さようなら〉
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 僕は、それでも書きとめる。見たものも、見なかったものも、すべて。無花果の木、水蜜桃、幾何学模様の魚……。
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 僕たちは日々、この地球の隅っこで、「もう一度問わなければならないもの」を犠牲にしながら生きている。「現在の、このとき」をないがしろにしている。
 たとえば十年、二十年後のこの夏の日に、空はまだ、真昼のそれのように明るいだろうか。
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 たとえば僕は今も左手に行儀のわるい種子なんかを握りしめている。(三行目)
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 ああ、とうとう雨が、うつせみの夢の中で降りはじめた。僕はまだ、どこにも旅立てずにいる。
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(ふいに神様と目があって、



無人称の時代(2)




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