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夏瞳さん詩集『灑涙雨』(如月出版刊/二〇一六年七月七日)を読む

〈未来にいなくなる
 言葉が音に回帰する〉

 夏瞳さんの詩集『灑涙雨』は、このせつない二行からはじまる。〈未来にいなくなる/言葉が音に回帰する〉というところから詩をはじめるには相当、時間がかかっただろう。詩を、ことばを、音に回帰するための糸口をつかむのは――むしろ詩人であるからこそ――容易ではない。

〈天の奥に目があると
 信じるふたりの
 終わらない逢瀬〉

 この詩集のことばは、ほんとうは引用できない。ことばはつねに――ときには音楽的に、ときには絵画的に――そこにある。そこにありながら、通奏低音のようにながれつづけている。ページをめくるたびに、縦縞のことばたちはよりいっそうの切実さをおぼえながらも、決してとどまろうとはしない。たぶん、きっと、風のしわざだ。

〈縦縞を生む風
 垂直に降りてくる〉

 ……ここはどこだろう。表も裏もなく、はじまりも終わりもない。こよみはめくられることもなく、やぶられることもない。かすかに息づかいが感じられるが、しかしだれもいない。七夕。天の川。まだ出会ってもいないだれかとだれか。そのだれかのなかのひとりは、「ぼく」や「あなた」だ。ことばはたしかにここにある。ぼくたちよりもほんのすこし先に、ことばがここにある奇蹟。
   *
 ことばは「行」となり、「節」となり、それでもまだ、どこにも帰らない。帰れない。彦星や織姫の到着を待ち望んでいるのだろうか。あるいは、この日の――七月七日の――逢瀬を最後まで見届けようとしているのか。
 夏瞳さんは夜空を見上げながら、そっと願う。

〈まだもう少し青くいて
 あの人に会えるまで〉

 と。なおも、

〈どの一滴に濡れてもいいというわけじゃない〉

〈何時何分何秒に/風があなたの頬を撫でるのか/計る砂時計をこしらえる〉

〈なんということだろう/此処には季節がない〉

 と――。

 たとえば宇宙のはじまりを指揮するのはだれだろう。無名の指揮者、ぼくはよくその存在のことをおもう。夏瞳さんも、あるいはそういったなにかに気づいているのかもしれない。だから、詩を〝書かされ〟なければならなかった。

〈夜眠る時/誰の名前を唄えば良いか//星を渡る時/思いは何処まで伸びるか//本当は/生まれたときから知っている//切なさはそのせい〉

 ふいに胸がせつなくなるように、その場にうずくまってしまいたくなるように、じぶんのなかの「余剰」のようなものがあふれ出てしまうときがある。そのとき、夏瞳さんは詩を書く――しかも、夏瞳さんの詩を奏でようとする、無名の……非存在の……天球の指揮者と、目と目があってしまう――のかもしれない。夏瞳さんの目に映る指揮者は、はたしてどのような姿かたちだろう。

〈もどかしさで蹴破り/その瞬間に生まれる〉

 過去から現在へ一方向にながれるのではなく、現在から過去へと遡及する心情がまじわり、溶けあい、ひとつになる。まるでうつくしい羽をもつ記憶のように。
   *
 記憶は曖昧で不確実である。しかし、ときにはその曖昧さや不確実さに救われることもある。そしてまた、曖昧であり不確実であるがゆえに、
 ぼくたちはせつない。
   *
 孤独と孤独はおたがいを呼びあうように。宛名のない手紙を差し出すように。どこかに置き忘れてしまったものを思い出して、泣きたくなるように。回帰しつづける。星と星、風と風の辻のようなところで。

〈星を虐めて灑涙雨/足跡の付かない靴を履いている〉

 そう、だからこそ、この詩集は編まれなければ――奏でられなければ――ならなかったのだ。


夏瞳さん詩集『灑涙雨』(如月出版刊/二〇一六年七月七日)
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