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響けよ、愛しのブンガク(二十/最終話)


       二十

「これから死のうと思ってまちゅ。でも、一人じゃ、嫌でちゅ。お願いでしゅから、一緒に死んでくだちゃい」
 ブンガクは赤ちゃん言葉で話す。
「きみならぼくの苦しみをわかってくれると思ったんでちゅ。だから電話したんでちゅ」
 一拍置いて、
「山崎冨栄になってくだちゃい」
 と言う。
 わたしはため息を漏らす。再会とはこんなにふざけたものであっていいのか。
「で、今どこにいるのよ?」
「山の麓。公衆電話からかけてるんでちゅ」
「赤ちゃん言葉をやめないと、行かないからね」
 わたしはぴしゃりと言った。
「……いい川を見つけたんだ。ここからそんなに遠くないところにかかっている赤い橋の下に、それはとても澄んだ、この世のものとは思えない輝きを放っているんだ。まるで死を誘う輝きだ。きみにも見せたい」
「どこの山よ」
 言下に、ブンガクは山の名前を口にした。わたしも知っているところだった。
「じゃあ、行ってあげる」
「早く来ないと飛び降りちゃうからね」
「あ、っそ」
 電話を切ると、わたしは普段着――ねずみ色のTシャツと洗いざらしのジーンズ――のまま外へ飛び出した。が、ふと思いとどまって部屋に引き返す。
 何も急ぐことないじゃない、と思い直して、台所でコーヒーを飲んだ。ブンガクの赤ちゃん言葉を思い出してひとしきり笑うと、緊張感はだいぶ和らいだ。
 太宰も、あるいは赤ちゃん言葉を使っていたのではないか。またくつくつと笑った。
 そして――。
 わたしは時間をたっぷりと消耗するために、千明からの手紙を読むことにする。
 彼女はもうすぐ結婚するらしい。幸福そうで何よりだ。
 あなたもしあわせになりなさいね、なんて、泣かせることも書いてある。
 読み終えると、
「それでもわたしはブンガクに会うのです」
 と一人つぶやいて、わたしは部屋を出た。

 いつの間にか空は夕方の色を落とし、生ぬるい夜気が漂い始めていた。
 ところどころに案内の立て看板があり、山道はしっかりと踏みならされているので、暗くても迷うことなく登ることができた。ただ、うっすらと霧が出ていて、遠くの方はかすんでほとんど見渡せない状況だった。
 歩き続けていると木と木の間隔が狭くなってきた。時折、鳥の群れがばさばさと飛び立つ音が聞こえる。山は、少し不気味だ。ようやく休憩所のあるところまで来ると、その向こうに赤い橋がかかっていた。
 橋の中ほどに泥まみれの革靴がそろえて置かれていた。
 ブンガクのだ。わたしはぼんやりと思った。靴の寂びれ具合が、どうにもこうにもブンガクの雰囲気と一致していた。
 あんなやつに橋から飛び降りる根性があるはずがない。でもまさか……。わたしのばか正直な心臓は早鐘を打ち鳴らす。それに急かされるように全身の血が騒ぎ始めた。体がかっと熱くなる。
 一瞬、脳裏に未来の映像が浮かんだ。
 わたしは白い木製の揺り椅子に座って外のベランダを眺めていた。
 カーテンのドレープが風をはらみ、深呼吸のような運動を繰り返している。天井には豪勢なシャンデリアがあり、棚にはいくつもの骨董品が並んでいる。
 隣の部屋から子どもたちの遊ぶ声が聞こえる。夫がいて、孫がいて、息子の嫁とも仲がいい。
 けれどもどこか空しい。
 わたしは独りごちて、ベランダのずっと向こうに思いを馳せる。
 待っているのだ。
 そう、わたしはいまだにブンガクを待っている――。
「ブンガク!」
 わたしは、叫んだ。
 そんな人生はいやだ、と思った。待ちつづける人生なんてもう、いやだ。
 欄干から身を乗り出してみるが、人影はない。すでに流されてしまったのだろうか。そこまで水の流れは激しくないが、ブンガクの痩せっぽちの体なら、このくらいの勢いにさえ負けてしまうのかも。
 流されているとしたら、今はどのへんだろう。追いつけるだろうか。もしかしたら棒杭か何かに引っかかっているかもしれない。引っかかったまま、わたしを呼んでいるのかもしれない!
 しかし、わたしときたらこの場から一歩も動けずにいる。ただただ泣いている。子どもみたいにおんおんと声を上げて。
 そのときだった。
 はっと気配を感じて振り向くと、ブンガクが欄干の端の陰に身をひそめてこちらを窺っているではないか。薄闇の中でも、目がかち合っていることがわかった。
 わたしの視線に気づくと、決まり悪そうにのこのこ出てきた。自嘲気味の笑みを浮かべている。風貌は以前とまったく変わっていない。
「ぼくのためにあとを追って飛び降りてくれるかなあ、って思って見ていたんだけど……」
 ブンガクは頭をかきながら言う。
「死んでくれなかったんだね。残念。でも、これからぼく、死ぬよ。一人で、死んじゃうからね」
「こんな川じゃくたばらないって。せいぜい骨折ぐらいだわ」
 わたしは言う。
「だってぇ、泣いてるじゃん、きみ。ぼくが死んじゃったんじゃないかって思ったんだろ?」
 ああ、思ったよ。ちくしょう!
 わたしは、最後に一目見れてよかったです、では失礼いたしますと言って、慇懃に頭を下げた。そしてきびすを返して来た道を戻る。
「ちょっとぉ、待ってよー」
 ブンガクは、甘ったるい調子でのこのことあとをついてくる。以前とは別人のようだ。というか、すっかり情けなくなっている。
「待ってくれなきゃ、このままきみのうちについていっちゃうよお」
 ふんっ、来るなら来い。
 わたしは足早で歩きながら悪態をついた。
 なんだか立場が逆転しているな、と思う。
 麓に降りると、そこからはしっかりと舗装された道だ。
 待ってよお。疲れたってば。お茶、持ってきてないの? 別にお茶でなくてもいいんだけどさあ。あっ、あそこに自販機あるよ。ねえ、ねえー。
 ブンガクの声は遠ざかりそうで遠ざからない、曖昧な距離感を保ちつつまとわりついてくる。
 それにしても、わたしたちは半永久的にこんな茶番を続けるつもりなのか。それはそれで楽しくもあるけれど、少し怖いな、とも思う。
 でも。
 まあ。
 いいか。
 今は今、素直な気持ちに従って生きてゆこう。
 あとは野となれ山となれ、だ。
 わたしは胸を張って誇らしげにこう叫んだ。
 愛してるぜブンガク――。

(了)
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