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「支持体」あるいは〝メモリー・ウォール〟(Memory Wall)/消し残された断片たちのゆくえ――フナイタケヒコ展~空中庭園/断片2016~

フナイタケヒコ展~空中庭園/断片2016~

 あなたはときどき、日常のなかでふいに、きょうこそはずれたい、というおもいにかられることがある。「いま」からも、「ここ」からも。いや、「わたし」そのものからも、はずれていたい、と。
 だから、あなたはしらずしらずのうちにギャラリーへ足をはこぶ。あなたのまちにあるギャラリーへと。あるいはまだいったことのないところへと。
 そこにはかならず、一瞬にしてあなたをあなたからはずすなにかがある。
 なにか――。

     *

「支持体」あるいは〝メモリー・ウォール〟(Memory Wall)、そのうえで、かつてモノだったなにかが――厳密にいえばかつて構築物だったものの部分と全体が――色彩を奏でている(それはまた既成の概念や権威をも解体し無効化する試みでもある)。実在しないあなたのまえで、あなたはおもう。どう考えても、これはじぶんのなかだけで起こっている事象ではない、と。そう、あなたはおもう、もはや実在しないあなたのまえで。うつくしく、そしてもっともかなしい暗喩……。
(あなたは、もうすでにじぶんがわすれられる存在であることを知っている。しかし同時に、じぶんがすぐにおもいだされる存在であることにも気づいている)
 あなたはどこまでもゆっくりと――手の鳴るほうへ――たおれつづける。

フナイタケヒコ展~空中庭園/断片2016~(section-2 風のために)

 あなたはどこまでもゆっくりと――手の鳴るほうへ――たおれつづける。あなたは、だから鳥になる。あなたは鳥の言語をおもいだし、あなたというかたちからはずれる。光をついばむ。羽をはばたかせる。はしる。とぶ。そのうちスティック状の木のすきまを縫いながらさがさなければならない。なんども書きなおされては破り捨てられる日付や地名、種子の夢などを……。

 ………風は……はたして言語を獲得しようとするのか……………それとも分解の方向性なのか………いや……これは〝風の言語〟そのもの、なのかもしれない……………(出あいがしらにおたがいをことごとく挑発してみせながら)……………………
 遺骨/遺構をふきぬける風。秩序のあかるみ。おもわぬ晴れ間。
 いのちのやりとり。あるいはその名残。
 だれもが無縁でいられなかったころの記憶。匿名性の分解や分裂は、どこまでもさびしくかなしい物語である。
 断片は決して軽やかではない。
 そこここで語りえぬものに向きあう力が働いている。
 空中にありながらも、それどころかおそろしく重い。重い「問い」の性質をそなえている。たとえば、唇――あなたに告げたままのかたちで。
 意味の不在化した諸断片はそれ以外のいかなるものによっても応えられてはいない、孤独のあらわれ、ではないか。

(あなたはどこまでもゆっくりと――手の鳴るほうへ――たおれつづける)

フナイタケヒコ展~空中庭園/断片2016~(section-2 風のために、一部)

     *

 …………………………………いくつもの文脈で読むこと………
 ………………投身の試み………
 ………………………軌跡から奇蹟へ……………………
 ……………ときどきそこに――風のなかに――方言のようなものがまぎれこむ……………………断片……………
 …………は、ふたたび散文のスタイルを纏うのか…………………………………………………………………………………

     *

フナイタケヒコ展~空中庭園/断片2016~(section-3 かけら山水)

(あなたはどこまでもゆっくりと――手の鳴るほうへ――たおれつづける)

 あなたはどこまでもゆっくりと――手の鳴るほうへ――たおれつづける。あなたは、だから魚になる。あなたは魚のように自由であるが、あなたはなおもゆくえを追わなければならない。また、あなたは水平線の彼方から届くはずの壜を呼びつづけなければならない。たとえば、真昼ごと見えない波にさらわれてしまう断片たち、記憶たちの声をききながら……。

 いつかまた呼びおこされふりむかずにはいられない、いとおしい原形のむれ。シンプルなほど明晰に、知的に分解された触覚性の視点。
 スティック状の木は――その直接性のなかで――〝こわれもの〟として空中にリズミカルに浮遊しているが、その浮遊感を演出しているのはまぎれもなく「影」である。
「影」というさりげない――しかしたしかな、質実な――仕掛け。あなたはその仕掛けのなかを、息を止めてそっと歩く(そっと歩かなければいまにもくずれてしまいそうだ)。
 目に見えぬモノやコトを試みるためにはまず「影」の存在をつよく意識する必要がある。そしてまたそこからリズムは豊富に生み出される。「影」の位相。
 影が光を呼んでいるとき、光から影は見えない。かたちは呼吸する。そこに記憶があるかぎり。

(そこに記憶があるかぎり。あなたはどこまでもゆっくりと――手の鳴るほうへ――たおれつづける)

フナイタケヒコ展~空中庭園/断片2016~(section-3 かけら山水)、二

 しかし、ふと耳をすませばスティック状の木の陰で鳴く小鳥の声がきこえないか。ちいさな虫の羽音や……葉擦れの音……木が茂る……実が熟れる……そのまえにまず、まちがいなく「ある」ということ……。生命の、巻き戻しの息づかいが感じられないか。蜘蛛が巣をつくり、バッタが飛びはねる。虹がかかる。そのうち――骨のようにしろい、うつくしい木のうえに――未知の言語の本が並んだ図書館ができるかもしれない(そう、世界のはじまりだ)。

(すべてがふたたびつながりはじめる予感。あなたはどこまでもゆっくりと――手の鳴るほうへ――たおれつづける)

 分裂し、なおもゆれ動いている現実を直視する螺旋状のまなざしでアルミワイヤーは――いたいたしく、切実に――まきついている。
 アルミワイヤーは行為の過程であると同時に行為の帰結でもある。
 遺伝子レベルでのコミュニケーション。かつていきものだったはずのものたちは―― 一見、ランダムに見える事象の背後にひそむ「パターン」と連動する〝自覚〟にめざめさせられながらも――いまだに習俗性に反発したがっているようだ。
 そしてその類縁性はいつかまた呼びおこされふりむかずにはいられない(しかし、だからといって、ふたたびあなたになじみのある世界である保証はない)。

フナイタケヒコ展~空中庭園/断片2016~(section-1 螺旋の妖精)

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(……………………………………………あなたはどこまでもゆっくりと――手の鳴るほうへ――たおれつづける。……………………………………………そしてまたあなたはふりむきつづける。まなざしに重みをもたせなければならない。そしてその事実はあまりにもせつなく、いたましい。……………………………………………世界は、いまだ息を吐ききったあとの苦しさにとどまっている…………………………………………………………………………………………)

     *

フナイタケヒコ展~空中庭園/断片2016~(section-4 曖昧なフィクション)

 アルミワイヤーやスティック状の木、油彩などは決してあなたたちの外側にある表現形態ではない。むしろあなたたちの内部に発見される「問い」である。
 大いなるもの――うしなわれた囁き――の力につり下げられたまま、名もない離島のように際限のないいたみやかなしみにたえる。しずかに、つつましく、「偶然のできごと」はつづられる。「支持体」あるいは〝メモリー・ウォール〟(Memory Wall)、その発語を待たなければならない。

     *

 やがてあなたは、あなたそのものにかえる。日常のあやうさのかたすみで。なおもみずからのゆくえをさがしつづけながら。

フナイタケヒコ展~空中庭園/断片2016~(section-3 かけら山水)、三


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