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揺籃期と、それにともなう無数の断片


     第一週(土曜日) 雪

[メモ]世界に〝ひずみ〟の生じた日、たった一冊の詩集によって僕は――

 すべてのことのはじまりは一冊の詩集だった。
 その日の朝、目覚めると僕は県立図書館のだだっ広い駐車場にたたずんでいた。よく利用する、県庁の前にある大きな開架式図書館だ。すぐ横には歌手のコンサートや講演などが行われる会館もあり、図書館よりもそちらのほうに人がちらほらと出入りしている。車もぞくぞくと入り口ゲートを抜け場内に入ってくる。
 僕は、寝ぼけまなこで去年の誕生日に恋人からもらった腕時計を見る。時刻は八時五分前。
 なにか借りたい本がないか頭をめぐらしたが思い当たらない。家にはまだ読んでいない本がたくさんある。今はトルストイの『アンナ・カレーニナ(下巻)』を読みかけている。リョーヴィンとその妻キチイの新婚生活のあれこれがだらだらとつづいていて少し飽き飽きしている。先に読み終えた恋人が言うには、罪の意識にたえられなくなったアンナは鉄道自殺を遂げてしまうらしい。僕はアンナの情熱にほとんど恋をしてしまっている。
 恋人は、けれどもエミリ・ブロンテの『嵐が丘』に登場するキャサリンの情熱には誰もかなわないと言ってゆずらない。僕も、否定はしない。
 さしせまって図書館に必要性を見出せない僕は植え込みを軽く飛び越えて駐車場から抜け出し、車道を隔てた向こう、住宅の建ち並ぶ細い路地へ行った。たしかこの先に隠れ家的なカフェがあったはずだと思って突き進んでいくと、案の定あった。
 腹がへっていたのだ。いつもの朝の何十倍も。
 その白木のカフェは、どこにでもある、やや煤けた、ごく普通のアパートメントの二階部分に無理やりはまり込んだような格好で鎮座している。気をつけなければならないのは急勾配の階段だ。雨降りの日は特に注意が必要で、僕は何度か足をすべらせてしまいそうになったことがある。恋人もこの階段にはやりきれないものを感じているようだった。だからだろう、長らくここから足が遠のいていた。
 今日は例外だ。雨は降っていないし、腹がものすごくへっている。この二つの現象が同時に起こる日は滅多とない。
 店内に入ると三十代のマスターと二十代のウエイトレスが愛想のいいほほえみを投げかけてくれる。僕は窓際の席を選ぶ。この席から窓の外を眺めると、アパートメントの二階部分に無理やりはまり込むという店の構造上、どこか、崖から身を投げ出したまま停止してしまったような浮遊感に見舞われて、おもしろい。
 僕はモーニングセットを注文する。すぐに大型のサンドイッチが二つとハムエッグ、そしてブラックコーヒーが運ばれてくる。ごきげんよろしかったですか、とウエイトレスが言う。僕がなんのことかわからずぽかんとしていると、彼女はたちまち頬を赤く染めて踵を返した。
 食事が終わるころ、僕はソファの片隅に一冊の本が置かれていることに気づく。僕は禁煙中なので防寒ジャケットの胸ポケットの中をいくらまさぐっても目当てのものは見つからない。幻のシガレットケースを探すのに我ながらあきれはてる。それでも手持ちぶさた、口寂しさはなかなか解消されず、僕は何気なくその本を手にとってみた。

『揺籃期と、それにともなう無数の断片』

 タイトルはいささか抽象的にすぎるきらいがあった。著者名は、なんと僕と同姓同名だった。
 ここで僕の名前をつまびらかにしておこうと思うが、しかし僕はあまりにもありふれた名前の持ち主であり、口にするほどのことではない。僕の名前は、たとえばスズキヒロシとかタナカイチロウとか、そういったものに類する。あるいは、タニカワシュンタロウとか、サトウハルオとか、イノウエヤスシとか、コジマノブオとか、ありそうでなかなかないものかもしれない。恋人に言わせれば、タチハラミチゾウとか、イトウシズオとか、テラヤマシュウジとかが、いちばん僕の名にしっくりくるような気がするらしい。タチハラミチゾウはわからないが、あとの二つは、きっと僕に当てはめてみても違和感がないだろう。もちろん、僕にはそれ相応の文才がないので、あくまで名前の響きだけの話だ。
 外国の名前にあこがれることもなくはない。自分の名前が、ギ・ド・モーパッサンとか、フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルドとか、パウル・トーマス・マンとか、チャールズ・ディケンズとか、ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイスとか、そういうものだったらどんなにすてきだろう。日々の暮らしが一転して輝いて見えるにちがいない。
(ここで一つ断っておかなければならない。僕と僕の恋人は本を読むのが好きだ。僕たちの頭の中の大半が文学で成り立っている。もしも、僕たちがスポーツを愛していたら、こういうときは当然スポーツ選手の名前を取り上げることだろう。政治に興味があったら、古今東西問わず政治家の名前を。テレビを観るのを日課にしていたら、テレビタレントの名前を。けれども、僕たちはお互いにスポーツにも政治にもテレビにも疎い。だからどうしても文学方面へ偏ってしまうのだ。)
 話がどんどん横道にそれていく。僕の悪いくせだ。そろそろ軌道修正しておく必要がある。
 とにもかくにも、その本の著者は僕と同姓同名だった。そして、どうやらそれは、小説でも随筆集でも伝記でも紀行文でもなく、何編もの詩が収められた詩集のようだった。ページをめくるたびに、詩特有の改行によって並べられた美しい言葉が立ちのぼる。僕はためしに、適当に開いたところの一節を読み上げてみた。

「世界に〝ひずみ〟の生じた日 私は何者でもなかった」

 僕は無意識のうちに何度もうなずいていた。今度は、それを心の中でひっそりとつぶやいてみた。予想どおり言葉は逃げなかった。いや、予想以上に定着した、と言い換えてもいい。
 かすかなしびれを感じつつ、僕はつぎの行も読んでみた。

「私は だから いともたやすく世界をはらむことができる」

 さらにそのつぎの行も読んでみる。もちろん、声には出さず、ひっそりと。

「世界よ! そう叫ぶのだ たったそれだけでいいのだ」

 僕は衝動的なよろこびに突き動かされて立ち上がらずにはいられなかった。すると、僕が帰ると思ったのだろう、調理場のほうでマスターとにぎやかに談笑していたウエイトレスがそそくさとレジカウンターの前にやってきた。僕は一瞬どうしようかと悩んだが、悩んだところでもう決まっていた。僕は、さも自分の持ち物のようにその詩集を小脇に抱えて、勘定をすませた。
 僕と入れ替わりに、だぶついた紺色のロングコートをはおり、鳥打帽をかぶった青年が来店してきた。その青年が、「あのう、ここに一冊、本を置き忘れて帰ったみたいなのですが……」と、見かけによらず張りのある声で言うのを聞きながら、僕は店の扉を後ろ手に閉めた。
 外では、純白の輝きを内側に秘めたロザリオのような牡丹雪が降りはじめていて、そのせいで鉄階段は非常にすべりやすくなっていたけれど、僕は、かまわず駆け降りた。



     第二週(日曜日) 雨

[メモ]たとえ文章を手荒く、小汚く扱う者がいたとしても、僕は自分の領域で素知らぬふりをしておこう。

 日記を書きはじめたのは、いったいいつからだろう。恋人とつき合う前も書いていたような気がするし、彼女とつき合いはじめてから書くようになった気もする。僕はほとんど毎日欠かさず日記を書きつづっているが、その日記は翌日、彼女の暮らす町に送られる。そういう決まりなのだ。
 僕も、僕の恋人も、連絡の手段は手紙しか用いない。そういう主義なのだ。
 もっとも、僕たちは遠くに離れているわけではない。会おうと思えばいくらでも会うことができる。いきなり彼女が僕のうちに来ることもあるし、僕が彼女のうちに行くこともある。偶然、街中で出くわしてしまうことも少なくない。僕がほかの女の子を連れていると、彼女はがっかりするし不機嫌になる。それは逆の立場でも同じだ。

 さて、日記を書くにあたって、僕はいくつか条件をつけている。
 一、この日記はたんなる記述に終わらせてはならない。
 二、この日記はいずれ創作のために役立てるものである。
 三、故にどのページも短編小説あるいは一編の詩の要素をふくんでいなければならない。
 四、故にどのページも長編小説あるいは一編の詩のひらめきが隠されていなければならない。
 僕は近い将来、小説あるいは詩を書こうと思っている。そういう思いがある。それが短編小説になるか長編小説になるか、一編の詩になるか複数の詩になるかは、今のところなんともいえない。小説とも詩とも判断しかねる、たとえば文章の塊のようなものになってしまう可能性だってなくはない。
 でも、とにかく、僕は近い将来、小説あるいは詩を書こうと思っているのはたしかだ。そしてそのために日記を書いているのだった。
 もしかしたら日記の中に、僕の書きたいもの、書かなければならない切迫したものが見つかるかもしれない、そう考えて、かれこれ三年くらいたつが、いまだに原石らしいものの発掘まではいっていない。僕は日記を書き終えるたびに、なんの収穫もなかった考古学者のようにがっくりとうなだれてしまう。今さっき書いたものを破り捨ててしまいたい衝動に駆られる。
 僕の恋人は――僕の恋人だけは、それはもったいない、と言ってくれる。あなたの書くものはすべて価値のあるものよ、とも言ってくれる。
 だから僕はいったん彼女に日記を預けているのだ。別に捨ててもらってもかまわないのだけれど、きっと彼女のことだから、大切に保管してくれているだろう。彼女の愛用の机は、小学校の入学祝いに父親からプレゼントされたもので、今も使われている。僕の日記がその机の引き出しの中に入っていることを想像するだけで、僕はとってもしあぁせな気持ちになる。それだけでも彼女のもとへ日記を送る意義は十二分にある。



     第二週(月曜日) 雨

[メモ]なにごとも複雑化してはいけない。

 僕は毎週日曜日、地元の新聞の詩の投稿欄を読むのを楽しみにしている。昨日はいろいろと忙しくて――いったいなにがそんなに忙しかったのだろう、まったく思い出せないが――その欄をじっくりと読む暇がなかった。で、今日の朝、読んだ。
 毎回決まって五つの詩が掲載されるのだが、そのうち三作品は常連のものだった。常連は、やはり安定感のある詩を書く。というか、こちらがそれにすっかりなじんでいるから、まるで心地いいソファに座っているような錯覚を抱くのだ。あとの二作品は、たぶんはじめて投稿された方のもののようだった。
 どれもなかなか興味深い内容だった。詩の勉強のためにも、時間があれば書き写したいのだけれど、この日も、僕はこれからありとあらゆる種類の問題を一つ一つ解きほぐしていかなければならなかった(ただ、ほかの人からして見れば、それは問題にならないほどお粗末な代物かもしれないが……)。
 せめてそれぞれの題名だけでもここに書き残しておこう。

『羊を数えながら眠ることに飽きた夜、僕はおそるおそる知らない国を思い描く、その国の教育はとても豊かに発達していて人々が生活する上で何一つ不自由することはない、慢性的な水不足が悩みの種といえばそうであるが誰かが悲鳴を上げれば全員で知恵を振り絞り解決策を生む、あるいは慰めの物語を捻出しその物語でなんとか不足のところを補うのである、歌のうまい者は歌をうたい絵の描ける者は絵を描く、歌や絵ができるからといって決して他人の無能をばかにはしない』

『近いうちに銃声が鳴り響くだろう、それは強大な空腹を告げるようなものであって決してなにかとんでもない争いに発展するわけではないと悲しみはつぶやいた、そして悲しみは少し気難しそうに首を横に振りながらただ俺にもわからないのはその音がどのタイミングでどのくらいの距離から放たれるものかということだ、と、悲しみでない者たちは口をそろえて言ったのだった』

『つぎはぎだらけのペンギンがいくつもぞろぞろと我が国を経由して鬱病にかかることはおそらくないであろうが、しかし今日みたいに穏やかで美しい空からは革命直前の予感がする』

『ゴキブリはそろそろ瞬間移動を覚えるだろう。ゴキブリ様ばんざい、ばんざい、ばんざい!』

『この世界において手っ取り早く幸福を味わうには、餃子を食べることだ! ああ、餃子が食べたい』

 説明するまでもなく前の三つが常連のもので、長い題名だ。彼らも投稿当初は短く、簡潔で、ありきたりの題名だった。少しずつソフィスティケートされていって今のスタイルが確立されたのだ。
 しかし、年が明けてから選者が代わり、投稿欄常連の詩人の何人かは、もうすでにその選者によって淘汰されてしまった。その常連詩人たちは、このたび掲載された人たちよりも――あるいは、おのが詩の内容よりも――うんと長い題名を書いて僕たち読者を魅了した。このたびの常連たちも、きっと危うい立場に追いやられていることだろう。今後、詩壇がどう変わっていくのか、じっくりと見守っていきたい。

 そして選者は選評でこんなことを述べていた。
〈なにごとも複雑化してはいけない。放っておくと、おまえら「くそ」の意識はどんどん身勝手な方向へ行っちまう。おまえら「くそ」はそれに気づかない。あるいは、「くそ」ながらにつつましく、気づかされるのを待っている。誰かまともな「くそ」はいないものか。俺と一緒に反旗をひるがえそうとする「くそ」、勇気ある「くそ」よ、ただちに連絡してくれ!〉

     *

 僕には詩を読み解く才能も、また、詩を跳ね除ける敏捷さもないので、真理に迫った言葉を目の当たりにすると唖然としてしまい、無意識のうちに何度も何度もうなずくしかなかった。うなずいていることを、あとになってようやく思い出し、ひどく打ちのめされるのだ。
 今、もっとも記憶に鮮明なのは、町はずれの古本屋で購入した『ヘッセ詩集』(なんと百五円だった!)に収められていた「嘆き」という詩の冒頭――《われらには存在は与えられていない。われらは流れに過ぎない。》である。
 まったく、そのとおりだった!
 僕はそれまで自分の存在を頑なに押しとおし、敷衍し、妥協の前に必ずいらだちをつのらせていた。常に価値のない、愚かないらだちがあって、親しみを込めて近づいてくる多くのものを無下にあしらってしまった。
 しかし、僕はもう、偉大なる詩人の魂によって、知ったのだ。知ることができたのだ。
 知ることに、遅いも早いもない。ヘッセの言うところの――この流れの中で知ったことに幸福を覚えよう。そして自分に向けてささやかな拍手を送ろう。

[追記]もしかしたら、僕は明日にもこの歓喜を忘れてしまうかもしれない。いや、きっと、畑を耕す鍬を放り投げて煙草に火をつけるにちがいない。
 ただ、僕はもう知ってしまったのだ、ということは、この流れの中に、小さく小さく――小さいけれど、それは謙虚に、とても賢いかたちで――刻まれつづけることだろう。



     第二週(火曜日) 雨のち晴

[メモ]いかなる感情にも本能にも、抗うとなると容易ではない。感情も本能も実に醜い。紙の上の約束を反故にして……。

 僕の暇つぶしの成否は、意識をうまく空白の世界にすべり込ませることができるかどうかにかかっている。
 僕は今、駅前広場のベンチに腰かけて恋人の到着を待っている。実に暇で、暇で、仕方がない。もう約束の時間から三時間以上、経過している。
 暇つぶしは、何度行っても失敗つづきだった。空白の世界に通じる扉と、その扉を開けるための鍵がなかなか見つからないのだ。
 それを説明するのは難しい。いちおう僕の暇つぶしの方法について述べてみようと思うが、たぶんきっと、正確には伝わらないだろう。

 僕は森林に――あるいは街角に、あるいは火星に、あるいは他人の体の中に。そのときどきによって異なるのだが――突っ立っている。そこから僕は鍵を一つ見つけなければならない(ここで、こんなことで首をひねらないでほしい、とにかくそれがルールなのだから)。はじめから持っている場合もあるが、たいていは地道に歩きまわって探さなければならない。
 鍵を手に入れたとしよう。つぎは扉だ。扉を見つけ、その鍵で解錠しなければならない。これも、はじめからあるところを知っている場合もあるが、たいていは地道に歩きまわって探さなければならない。
 目安は五分――その間に、その二項目をクリアしなければならない。そうしなければ空白の世界にすべり込むことがほとんど不可能になってしまうのだ。

 ……少しはおわかりいただけただろうか? もし仮にあなたがわからなかったとしても、ぜんぜん問題ない。僕の暇つぶしの方法を知ったところで、そう簡単に真似できるものではないし、かえってできないことに腹が立って――待ち合わせに遅れてきた相手に八つ当たりしてしまっては元も子もない。
 けれど、うまく空白の世界にすべり込むことができたときの快感といったらない。僕は、ありとあらゆるしがらみから解放される。自由を得られる。なにも考えなくてもよく、またなにかにおびやかされる必要もない。僕はただ、恋人が僕の肩をたたいてくれるのを穏やかに待っていればいいだけなのだ。

     *

 結局、恋人はやってこなかった。僕は宵の明星にあいさつして広場のベンチから立ち上がった。
 暇つぶしは一度も成功しなかった。だから、苦肉の策で、暇つぶしに成功したときのことを思い描いて暇をつぶした。暇つぶしの成否にかかわらず、そういうことでも最低限暇をつぶすことができるのが、この暇つぶしの特権だ。
 もっとも、多くの人の暇つぶしは、僕のように凝っていないだろう。携帯電話をいじるなりなんなりして簡単に暇をつぶす、時間を消耗することだろう。
 僕は、どういうわけかその一般的な暇のつぶし方だと、あとあとになってひどく打ちのめされたような気分に陥るのだ。激しい後悔の念に駆られるのだ。だからどうしても独自の暇つぶし法で暇をつぶさなければならないのだった。

[追記]恋人よ、君はいずれこの日記を読むだろうけれど、ぜんぜん気にしなくていい。僕は皮肉で書いているわけではなく、本当に、ただの事実として書いているだけだから(でもそう書くと、やっぱり皮肉かもしれない。ああ、これは皮肉なんだ、きっと! 失礼!)。



     第二週(水曜日) 曇り

[メモ]無価値な詩に対し、「これは無価値である!」と指摘することで価値をつける、ということ。

 題名『第三の敵の襲来』
 飼い馴らされた僻地なる謀反/あるいは北へ南へひるがえりつづける白い霧笛//まぶたはやがて膨張した夢をのぞかせ/一羽の軍鶏が幽閉から飛び立つ/それを見届けてから戦いのための絵本はめくられる//(切なくめくられる)//すべての答案を白紙に戻せ!

 ………………そこまで書いて、僕は深いため息をつきながらペンを置いた。詩を書いてみようと思い立って書きはじめたのだが、だめだった。お話にならないくらい稚拙だ。
「これはなんて無価値な詩なんだ!」と、僕はいまいましくつぶやいた。

     *

 それからしばらくして、僕はふと思った。これはたしかに無価値なものであるけれど、けれども無価値なものとしての存在価値はあるかもしれない、と。

     *

 それからまたしばらくして、僕はこう考えてみた。もしかしたら、先ほどのあの深いため息のほうが詩だったりするかもしれない、と。
 あるいは、ため息のあと――ペンを置いた瞬間に、詩は生まれたのかもしれない。いや、そもそも、僕が詩を書こうと思った時点で、詩は詩として確立されていた可能性もあるだろう。
「詩は、詩の中にあるものではないかもしれない」と僕は言った。声がかすかにふるえていた。

     *

「詩は、本当はその外側にひそんでいるものかもしれない」と僕はふたたび言った。もう声はふるえていなかった。



     第二週(木曜日) 雪

[メモ]本音を見せるという身の隠しようもできなくはない。そう思いながら物置部屋を片づけていると、昔の――小学校低学年のときの日記が出てきた(僕はそのころも生真面目に日記をつけていたのだ!)。ただし、僕はそのころ、くしゃみ一つ満足にできなかった。

 くしゃみについて考えてみる。
 僕はいったいいつごろからくしゃみというものの不可思議な現象を自覚したのだろう。自覚し、そしてそれを行うのになんのためらいもなくなったのは、本当にいつごろなのだろう。思い出そうとするが、いっこうに頭の中の霧は晴れない。
 僕は、かつてくしゃみをするのが怖かった。また他人のくしゃみを見るのもいやだった。人目もはばからず声を上げ身をよじらせてくしゃみを行う者や、わざわざ紙縒りのように糸状にしたちり紙を鼻の穴に入れてかきまわしそれを誘発させる者を、僕は羨望――あえて「畏怖」とは言わない――と嘲笑――これも、あえて「憎悪」とは言わない――の入り交じったまなざしで見つめていたのを、しかと記憶している。
 僕の知り得るかぎり、僕の恋人ほど自然に、チャーミングに、春風のようにくしゃみを行える者はいない。
 今から三年前、僕と彼女は町はずれの古本屋で出会った。僕は雨宿りのためにそこに立ち寄り、彼女はほしい本が入荷されたという連絡を受けてやってきたのだ。僕たちはほとんど同じタイミングで店の中に入った。
 一見して駄菓子屋のような店内は狭苦しく、埃っぽく、僕たちのほかに一人も客がいなかった。店主もいなかった。コの字型のカウンターの上には一通の置き手紙があって、ほっそりした、いささか精彩を欠いた筆致で、「思うことがあって旅に出ます。どうぞ、ご自由に」と書かれていた。台の上には、ほかにも貝殻の皿とか缶の筆箱とか万年筆とか折り畳み式バタフライナイフとかなわとびの紐とか「のらくろ」の置時計とかテレビのリモコンとか花札の札とかカメラをのせるための三脚とかポケットラジオとか煙草(マルボロ)とか本とかがあり、僕の恋人――もちろんそのときはまだ恋人ではないけれど――は、その中から迷わず本を一冊、手にとった。『舞踏会へ向かう三人の農夫』というおもしろいタイトルの本だった(恥ずかしいことに、当時の僕は知らなかったのだ。柴田元幸というすばらしい翻訳家のことさえ)。
 彼女は僕の存在などおかまいなく、いとおしそうに本のページを繰った。僕は僕で、雨が上がるのを待ちわびながら、店内の棚を見てまわった。
 しばらくして僕は彼女のくしゃみを聞くことになる。そして僕は彼女に恋をしてしまう。が、そのときの様子は書かない。書きたくない。
 僕は言葉を信用していないし、言葉の危険性も知っている(つもりだ)。僕は、だから個人的に大切にしまっておきたいものは、紙の上に吐き出さないようにしている。たとえ誰かに言いたくて言いたくて仕方がないことでも、なるべくそういった衝動は抑えるように努力している。
 中学校の作文コンクールだったか、僕は母親の死について書いたことがあった。
 書き終えるなり、僕は胸の中に充満していた思いがすっと引いていくのを感じた。そしてそれは魂が体から抜けていくように、あっという間に消えてなくなってしまった。僕はあせった。どうしていいかわからず部屋のあちこちを探しまわった。もちろん見当たるはずがなかった。
 僕は、母親のことを半永久的に忘れないために書いたつもりだった。でも、実際はその逆で、僕はすっかり母親にたいする執着心がなくなってしまった。母親の姿を思い描いても涙腺がゆるまないようになってしまったのだ。
 それからだ、言葉を信用しなくなったのは。

[追記]くしゃみではじまり、くしゃみで終わらせようと思っていたのだけれど、ちょっと予期しない場所に行きついてしまうところは、言葉の魅力に相違ない――と、いちおう弁護しておこう。



     第二週(金曜日) 雪

[メモ]特になし。

 読書家の友人が家にやってきて、こんなことをまくし立てた。
「俺は、しばらくは本を読まない、という決心をつけてもいい時期に差しかかっているのかもしれない。断食もとい〝断読〟の時期にな。俺はこのごろ、本を読むたびに息が苦しくなり、蟹になってしまうんだ。どんな本を読んでも、結局しまいには蟹になってしまうんだ。蟹だぞ、蟹! 蟹! 蟹! 蟹! 一度転んでしまうと、もう大変だ。ごく普通の蟹がごく普通に起き上がるのとはちょっと――いや、かなり事情が異なるんだ。だってさ(そこで彼は下唇を噛み、少しの間を置いた)……嫌いな奴の靴を、百回も磨かないと起き上がれないんだからな! 百回だぞ、百回! 百回! 百回! 百回! 百回磨くということがわかるか? 百回磨くということはな、すなわち百回磨くということなんだ! まあ、しょうがないから、やったよ。俺はあいつ(実際には、彼ははっきりとある人物の名前を口にした)の靴を磨いて磨いて、磨きまくってやったよ。でも、七十回を超えたあたりから、もう蟹のままでもいいか、蟹のままで起き上がれなくてもいいかっていう心境になってきて――そうしたら、これ、このざまだよ。俺、今度は靴になっちまったんだよ!」
「靴じゃないよ。君は靴じゃない」僕はきっぱりと否定した。
「じゃあ、俺はなんなんだ? 今なにになってるんだ? どんなふうに見えるっていうんだ?」
「君は君だよ」
「嘘つけ! この嘘つき!」
「とにかく当分は本を読まないほうがいいかもね」
「……ごめんよ、ごめんったら。嘘つき呼ばわりしたのは謝るからさ、本当のことを教えてくれないか。俺は何者なんだ? それに、俺は、いったいなににつまずいて転んでしまったんだ?」
「暦じゃないかな」と僕は言ってみた。
「こよみ? こよみって、あのこよみ?」ようやく彼は僕の部屋を荒らすのをやめてくれた。
「うん、暦だよ。君は暦につまずいて転んでしまって、靴磨きの罰を受けざるを得なくなったんだよ、きっと」



     第二週(土曜日) 晴

[メモ]囚われの身であるお姫様は救世主を待ちつづけ、その救世主はスランプに陥った作者を必死で説得している、という悪循環――

 近所のスーパーマーケットで買い物をしていると、八十前後のおばあさんに、「もしもし、そこの若い方。あいすみませんが、この店のはばかりはどこですかな」と訊かれた。
 僕はこう見えて五十七歳なのです、と、うそぶいてみたい気持ちを抑えながら、僕はおばあさんをトイレの入り口まで案内した。トイレは、百円ショップ(右側)とクリーニング屋(左側)にほとんど完璧に挟み込まれていて、こんなところにあってもだあれも気づきませんよ、とかなんとか言いながら、おばあさんは淑女マークのあるほうへ入っていった。
 そのときだった。僕は突然激しい耳鳴りに襲われた。僕はよく耳鳴りに悩まされるたちなのだけれど、ここまで激しいものははじめてだった。もう頭の中がめちゃくちゃに攪拌されているようなのだ。
 僕は休憩所の椅子に座ってそれがおさまるのを待った。周囲の人に不審に思われまいと、なるべく普通を装った。クリーニング屋のおばさんだけがじっとこちらを見ていた。なんの感情もふくまれない、無機質なまなざしだった。僕は居心地の悪さを感じて立ち上がろうとした。が、すぐに考え直した。僕は今、普通の態度を装っているのだ。誰かに見つめられてそそくさとその場を立ち去るのは、はたして普通と言えるだろうか? いや、それでは明らかにまずい。あのクリーニング屋のおばさんはもう僕の異変に気づいているかもしれないし、あるいはまだ様子をうかがっている途中なのかもしれない。いずれにせよ今ここで逃げ出すわけにはいかない。僕が逃げ出せば、クリーニング屋のおばさんはかなり高い確率で僕の異変を、耳鳴りまでをも、言い当ててしまうだろう……
(あとから冷静になって振り返ってみると、そのときの僕は、普通の態度を心がけながらも、明らかに混乱していた。その混乱は、本当はなんでもないクリーニング屋のおばさんのまなざしから恐怖の観念を捻出し、僕をどんどん底なし沼の中へ押し込んでいった。僕は自分を客観的に見られなくなったまま、必死でもがいていたようだった。そこが耳鳴りのおそろしいところだ。)
 耳鳴りはなかなかおさまらなかった。気の遠くなるほど長い時間、僕は耐えた。少し軽くなったかな、と思いはじめたとき、トイレのほうから先ほどのおばあさんが出てきた。なにやら深刻そうな顔をしていたけれど、僕の姿を目にするなり、笑みを浮かべてこちらにやってきた。
「たびたびすみませんが、ちょっと来てくださらんかね?」おばあさんは僕の左腕(買い物かごを持ってるほうである)をつかむと、腰が曲がっているにもかかわらず、力強い、たくましい足取りで僕をトイレに連れ込んだ。淑女マークのあるほうに入るのはいささかためらわれたが、なにせ腕をつかまれているので抵抗する余地がなかった。
「ばばをしたもんで、手を洗おうと思ったんですが、水が出ないんです。ほれ、このとおり」と言いながら、おばあさんは右手で僕の腕をつかんだまま、左手で、その蛇口をいじくった。僕は左腕をがっしりとつかまれているので、右手で、その蛇口を勢いよくひねり水を出してみせた。はああ、とおばあさんは感嘆の声を漏らした。そしてようやく僕の腕を解放してくれた。
 蛇口は、たしかにお年寄りにはわかりにくいものだった。家の台所にあるような、誰もが見慣れた形状のものではなかった。その蛇口をひねった瞬間に――僕は耳鳴りがぴたりとやむのがわかった。自分を悩ませていたものが呆気なくなりをひそめてしまったことに、少しとまどった。
「ありがとうごぜえました。このご恩は一生忘れません」と、別れ際におばあさんは言った。
「とんでもないです。かえって僕のほうが感謝しているくらいですよ」と言って、僕は頭を下げた。
 おばあさんは僕の言葉の意味がわかったのかわからなかったのか、笑顔で何度もお辞儀をしながら、スーパーマーケットの自動ドアを通り過ぎていった。



     第三週(日曜日) 雨

[メモ]いいよ、いいよ、いいよ、と僕は言った。うん、うん、うん、と恋人はうなずいた。それは最高の幸福のかたちである。

 この日、僕は集中してあの詩集に収められた詩を何編か読んだ。詩の勉強のためにも、特に印象に残った箇所を書き写しておこう。

 大きな咳を三回したら/夕食をさかのぼって昼食のときの/らっきょうのにおいがよみがえってきて/ついでに彼女との別れ話まで思い出してしまって/ああ/もう少しスマートにいかないものかねと/僕はつぶやかずにはいられなかった

 けれども僕は/守ったり守られたりすることを前提に生きる幼児ではない/かえって誰に向けたものでもない第二の産声を上げてしまおう/(しまおう)/(しまおう)

 吉田少年は女性の下着を/特にパンティーを見ると/体がふるえるのだった//おばあちゃんと一緒に/駅前の大型デパートへ行った日のこと/女性用の下着売り場で/吉田少年はパンティーを指差して/だだをこねた/「これ、ほしい!」とわめきながら//すると/おばあちゃんはその場でズボンを下ろし/生温かい下着を/吉田少年に差し出した/「これで我慢しなさい」と言って//それからである/吉田少年の嗜好が変わったのは

 眠気はあるのになんだかまぶたが軽くて眠れない/そう言うと/白衣を着た男は/だったらまぶたに重石をのせるしかないね/と笑った//世界は残酷ににぶい

 本当ならばとうに殴っているはずなのだ/この野郎、この野郎、この野郎、などとリズミカルに吐き捨てながら/(完膚なきまでに……)/そしてガソリンを浴びせてやってから/安物のライターで奴の恐怖を引き出すのだ//(火だるまに)/(悶絶)//しかし理性は/僕を「人間」の檻の中に閉じ込めちまって――/おお/僕は僕の本能を忠実に愛せないのか!

 街を歩いていると/人波の途絶えたところで/乳首が一つ落ちていた//それはまだ新しく/ふるふるとふるえていた/誰のものかはわからない/人のものかさえわからない/身元不明のそれをそっと手のひらにのせて/せかいのちくび、と/僕は呼ぶことにした

 眠れない夜に響く音/あるいは僕の眠りがむさぼられているのかもしれない//今夜も音がしている/たった一枚 引き戸をへだてて/火のはぜるような/アルミを慎重につぶすときのような/この世のものとは思えない/不気味な音だ

 僕は第一のくさめを行い/また第二のくさめも行う/しかしそれは/終わりをなくしたのも同然だった/ああ/途方もない連鎖よ!

 死んだ釣り人たちが/談笑しながら/気持ちよさそうに/ぷかぷか浮かんでいる

 おむつ/くんぷう/ひじゅつ//言葉なんて気にするな//トゥデイ メニ ピープル ライク トゥ イート チョコレート

 有形でも無形でもいいのだけれど/これは自分だけのものとか/誰も持っていないものだとか勘違いして/大事にしているものほど/みんな当たり前に持っているものなのかもしれない/当たり前すぎて/だからみんないちいち口にしないのだ

 ……今日……僕の身長の十倍はあろうかという……鶏の卵を見たよ……/……馬の顔を……本物の馬の顔をかぶった……裸の兄弟も見た……/……「反逆せよ」と……もう一方の僕は言うんだけれど……もう霧の向こうに連れ去られちまって……/……書け書け書け書け書け……書けって書いていると……おびただしい数の横線……怖い……/……この生命より……はるかに長く生き延びる……ものを……

 椅子の上にある/水をたたえたコップが/何度も倒れる夢を見た//もう数えきれないくらい幾度も/椅子の座面でコップは倒れ/水をこぼす/そしていつの間にかもとの状態に戻っていて/ふたたびコップは倒れ/水がこぼれ//ひさしぶりの金縛りだ/僕はあっ! と思うのだけれどもう遅い/掃除機の吸入口に吸い込まれるような/不快な感じ/頭にぴりぴりしたしびれが走り/それは背骨を下って爪先に到達する/コップは倒れ/水をこぼす

[追記]人の文章を写経のようになぞっていると、たまに、自分が大きくなったり小さくなったりすることがある。大きくなろうが小さくなろうが、どちらにせよ一種の誇張だ。歪曲だ。言葉が、というよりは文字が、まるで金槌で叩き割られたように意味を失うこともある。そこにたしかに存在しているはずなのに、どういうわけかガラスの破片にしか見えなくて、心細くなって、僕はため息をつかずにはいられない。僕は本当に――近い将来、小説あるいは詩を書き上げられるのだろうか?



     第三週(月曜日) 雪

[メモ]あちこちに監視カメラのはびこる違和感。僕たちは今、誰に見られているのか。

 カフェで詩集を拾ってからというもの、詩のことばかり考えていた。そろそろこのへんで小説のことも考えてみたいと思う。自分には小説が書けるのか、詩が書けるのか、まだなんとも言えない。だから、僕は日々バランスよくその二つのことを考えなければならないのだ。

     *

 小説の根方で小説を支えているものは、やはり物語性だろう。ではその物語性とはなにか?

     *

 あなたの記憶に残っている、ありとあらゆる種類の物語の中で、ひどく引き込まれたもの、もっとも魅力を感じたものはなにかと訊かれたら、僕は〝蝿の話〟だと答えるだろう。書店に並べられている本からではなく、実際に、自分の身のまわりで起こった事柄、直接的であれ間接的であれ少なからず自分に関係した事柄――そういったところにこそ、本物の物語(あるいは本物の物語性)がひそんでいるような気がする。

 それは僕が幼稚園に入園して間もないころだった。父さんも母さんも、まだ二十代だった。
 二人は晩ごはんを食べていた。食卓にはお世辞にもごちそうと呼べるようなものはなかった。二人は黙々と、ごはんの上にキャベツをのせたり味噌汁をかけたりしながら食事を行った。テレビの電源はついていたが音は消されていた。男性のニュースキャスターが身を乗り出すようにしてなにかを言っていた。
 すると、どこからか一匹の蝿が飛んできた。父さんはその蝿が目障りで、箸で追い払った。蝿は懲りずに何度も父さんのまわりをうろついた。父さんは顔を真っ赤にして蝿と一進一退の攻防を繰り広げた。母さんはそのうち自分の食器だけ片づけて、さっさと風呂へ行ってしまった。
 父さんはごはんを食べるのも忘れて何時間も蝿と戦った。蝿は逃げなかったし、父さんも諦めなかった。
「私、寝るわ。明日は早いから」と母さんはあきれながら言った。
「うるさい、黙っててくれ!」と父さんは声を荒らげた。
 明け方近くだった。父さんはついに蝿を捕まえた。箸の先で、しかもつぶさず、生かしたままとらえることに成功したのだ。
 自由を奪われながらも羽をふるわせて飛び立とうとしている滑稽な蝿を眺めているうちに、父さんは、腹の底からおかしくなって、大声で笑わずにはいられなかった。そしてこの快感をさらに増幅させるためにはどうしたらいいか、考えた。蝿を一気に押しつぶしてやるか。それともじわじわといたぶってやるか。いったん虫かごにでも放り込んでおくか。
 いや、と父さんは思った。父さんは、母さんの眠っている布団にそろりそろりと近づいていった。
 父さんはしばらく、母さんの寝顔を眺めた。こいつ、俺の偉業も知らずのんきに寝てやがる。このぶんだと、きっと話しても、俺が一晩かけてどれほどのことをやり遂げたか、わかってもらえないだろう。俺は、すごい――とてもすごいことをやってのけたのだ。もしかしたら、この蝿は、宇宙人が偵察用として地球に寄越したものかもしれない。すなわち、蝿を装ったスパイかもしれないではないか。俺がこれを捕まえなかったら。俺がこれを捕まえなかったら。俺がこれを捕まえなかったら……。
「地球は滅びてしまったかもしれん!」そう言って、父さんは母さんの口の中に蝿を放り込んだのだった。

 父さんはいつも決まって、その話をこんな一言で締めくくった。
「……それからだよ、母さんが別人になっちゃったのは」

     *

 物語を物語たらしめるためには、いつ、どのタイミングで核心をつくかが、はっきりしていなければならない。父さんはそれを最後の最後まで隠していたけれど、書き手によって異なるだろう。早くも冒頭で語ってしまったり、中盤にそれとなく挟み込んだり――あるいはずっと隠したままにしておく、という方法もあるにちがいない(僕にはまだ、どれもできそうにないけれど)。



     第三週(火曜日) 曇り

[メモ]僕はいったいなにを背負って書いているのか? しかし芸術は裏切らない。ああ、いっそのこと僕は残飯になりたい。人に、おまえは残飯だと言われるのもいい。もし本当に言われたら、どういう反応をとるだろう?

 流しの三角コーナーに溜まった残飯を見つめていると、これには僕が食べ残したこと以上のなにかがあるかもしれない、と思って、少しだけ気味が悪くなる。僕はいつも食べ残しだけはしないよう心がけているのだけれど、でも、やっぱり残飯は出る。外食ですました日でさえ、出る。何日か家を空けていても、出ない日はない。
 残飯は当初、膿んだように陰鬱に存在している。言わずもがな、自らの境遇に不満めいた感情を抱えているのだ。僕がじっと見つめていても無反応だ。
 しかし、辛抱強く見つめていると、そのうちもじもじしはじめる。それがわかっているから、僕は目を離さず、何時間も見つめつづける。ここで注意すべき点は一つ――残飯を侮ったり嘲ったりしないことだ。彼ら(便宜上)は、こちらの気持ちを敏感に察する。こちらがほんの少しでも見下すような態度をとろうものなら、瞬時に心を閉ざしてしまうだろう。
 残飯は最終的に、もじもじしながらも、安らかな、和やかな気配を漂わすようになる。そして僕のほうも、彼らの放つ臭気をそこまで悪いものとは思わなくなる。いや、むしろその臭気に親しみさえ感じるほどだ。
 僕たちの間に揺るぎない信頼関係が結ばれた――そのとき、神様(便宜上)はようやく残飯に言葉を与えるのだ。
「朋輩よ、お願いだ! そろそろ我々を思いきって捨ててくれないか!」残飯は、そう叫ぶ。
 僕はにっこり笑って、彼らの願いを聞き入れる。

     *

 なにごとも切羽詰まらないと言葉を与えてもらえないのかもしれない、と僕は思う。なぜならば、僕はまだ神様に言葉を与えてもらっていないからだ。世の中の作家は、あるいは作家を志す人たちは、どういうふうに言葉をつづっているのだろう。そこにはっきりとしたものはあるのだろうか。
 たとえ明確なものがなくても、書けるには書けるだろう。原稿用紙に数行書けばそれは詩だと言えるし、数枚書けばそれは小説だと言えるだろうけれど、本当にそれでいいのか。僕は今、日記をつけている。読者は一人、恋人がいる。恋人がほかの誰かにこれを見せれば、読者は二人になる。そう考えると、僕はおそろしくなって手が止まってしまう。
 自分には読む人がいるのだ、と声に出してみると、ますますおそろしくなって、体が縮こまってしまう。
 僕は、背負っているものがなにもない。だから、背負っているものがほしい、と思う。なにかを背負っていれば、こんなにみじめな気分で日記を書かなくてもいい。なにかを背負っていたら、どんどん突き進んでいけるような気がする。
 山に登るにも、森を探索するにも、装備が必要だ。素っ裸で挑む者はいない。
 ただ、素っ裸で丸腰という装備も、ありえなくはないだろうけれど。

     *

 夜、眠る前に、あの詩集に収められた詩を一編読んだ。
 それはたった二行の詩だった。ここに書き写しておこう(そのかわり、タイトルはとても長かったので除く)。

 僕は興味本位で父の大切にしていた骨董品に鹿の精液をつけてしまった/あとから考えてみるとそれはつまり父の矜持を汚してしまったようなものだ

[追記]恋人よ、鹿の精液とはなにを意味するかわかるかい? 僕にはなんとなくわかる気がする。



     第三週(水曜日) 雪

[メモ]つんつくはそのままでよかった。つんつくはつんつくつんと笑い声をたてていればよかったのだ。けれどもつんつくは悩む必要がないのに大いに悩んでしまうのでつんつくつんという笑い声は幻のまま消え去るのだった。

 彼女の鼻は冷たかった、と僕はふいにつぶやいた。そのつぶやきによってなにか一編の小説が、あるいは一編の詩が書けそうだった。
 僕は急いで机の原稿用紙に向かった。
 しかし、とたんに頭の中にあったイメージが逃走を開始した。
 僕は逃がさないよう必死で追いかけた。追いかけながら、そのイメージを少しでも言葉に変換しておこうとペンを動かした。升目などにかまわず、原稿用紙のあちこちに書きなぐった。

     最初の妻 が  無言で 家を 出て
   行った と き   私は二階 の   寝室で静かに
  動物に まつわる 図鑑   を    眺めて   い た
     そして二度 目 の妻が 出て      行
        った ときも やはり 私は
     同じ  図鑑 を  
               眺めて  いた の だった

 僕は、そこで完全にイメージを見失ってしまった。そしてしばらくしてから、その原稿用紙を見直してみた。
「清冽じゃない!」と僕は思わず叫んだ。
「ぜんぜん清冽じゃない!」
 彼女の鼻は――というつぶやきによってイメージの堰が切られたとき、それは新鮮で、清冽で、かけがえのないものだった。けれど、いったん時間を置いてみたところ、それはすっかり枯渇してしまっていた。
「もっと集中するんだ、セカイ!」と僕はふたたび叫び声を上げた。
「神経をとがらすんだ、セカイ! 小汚い獣なんかにかまってないで、セカイ! 屈託なく暴れよ、セカイ!」

[追記]自分にこんな一面があるとは知らなかった。僕は、どちらかといえば感情の乏しい人間だった。恋人よ、いつだったか君がそう指摘したように。顔も内臓も、なにもかもきちんと機能しているのに、どうして感情だけは怠惰なのだろう――そう思って、かなり落ち込んでいた時期もあったけれど、今日の、この日の取り乱しようといったらなかった。少し、安心したよ。



     第三週(木曜日) 晴

[メモ]全長六十メートルの鉄橋、爆破して撤去、被支配者でありつづけること、安寧よ、論理なんかに首根っこをつかまれるな。

 昨日、せっかくのインスピレーションを、そしてあるイメージをみすみす取り逃がしてしまった。そのことが悔やまれて――僕は、目覚めとともに原稿用紙に向かった。とにかくあの感覚をよみがえらせたかったのだ。
 結果を言ってしまうと、やっぱりだめだった。書いても書いても、一度見えなくなってしまったものは取り戻しようがなかった。
 ただ、熱烈なかつ決定的なものに裏打ちされた言葉ではないけれど、無心に書きつづっていくうちに、何個かアイデアらしいもの(書きようによっては、どれも詩にも小説にもなりそうだ)が生まれたので、この日記に残しておこうと思う。

 一、題名「水産加工人は初夏の風にそよいで」
 帰宅すると、僕の部屋で水産加工人が初夏の風にそよいでいた。かげろうみたいにゆらゆら揺れていた。どちらさまですか、と僕は訊いた。そちらこそどちらさまですか、と水産加工人はおうむ返しに言った。癖のない流暢な日本語だった。そして宝石のようにきらきらしたまなざしだった。どうかされましたか、と僕は質問を変えてみた。そちらこそどうかされましたか、と水産加工人はまたもや僕の口を真似た。しばらくして彼はなんの迷いもない、正義に匹敵するほどの笑みをのぞかせた。それが僕の心の琴線に触れた。僕はもう少しで泣いてしまうところだった。僕は彼に部屋をゆずって、家を出た。家の前で、最後に一目見ておこうと思い、顔を上げた。僕の二階部屋の窓辺に水産加工人が立っていた。彼は相変わらず風にそよいでいたけれど、さきほどの親しみやすさはどこへ行ったのだろう、その顔は無表情だった。というよりは、なにかひややかなものが見え隠れしているみたいだった。僕は路上に唾を吐き捨て、右手の中指を突き立ててみせた。

 二、題名「無題」
 女「ねえあなたなんだかワタクシ赤ん坊が産まれそうな気がするわ」/男「へえもうそんな季節か」/女「きっとかわいいかわいいワタクシ似の赤ちゃんよ」/男「思ったより早かったじゃないか」/女「名前考えなきゃねえ」/男「でもどこか腑に落ちないな……」/女「それはそうとさっきからへんな音しない?」/男「俺の腹の音だよ」/女「あなたうどん食べたじゃない」/男「たしかにここ何日もうどんに見立てたものばかりだな」/女「今夜は接吻はやめときましょうか」/男「ああ接吻なんてラッコの戯れとおんなじだ」/女「おやすみなさい、そしてさようなら」/男「おやすみ、そしてあいうえお」

 三、題名「無題」
 屋根裏にめぐる梁を一つ一つ解体する過程において現存は維持されない/無為に暴力を遺棄しつづける闇そしてそれに付随したがる日向的な若者たちへある愛の詩に練り込まれた真性を問いかけろ/西に流れる渓谷の指先につむじ風はそっぽを向く/不敵に走らされるのと無意味に佇立する意志をほどよい混淆の作為へ導くことを前提にあるいは暫定的に活用しなければならない/とはいえ四つ辻の季節をなんのためらいもなく区切るのを了解する必要などどこにも見当たらない/武運に恵まれた不況に強い者を唯一道標として打ちのめすことができるのは現代に備わる現代性からかけ離れた小動物が好ましいと第二の世界は敷衍したと第三の世界は敷衍するその螺旋状の矛盾を背骨に遮蔽して今日も渡り鳥は海を越える/越えることによって俯瞰するのだがただ俯瞰そのものに他意はない/彼らは彼らの暗闇を透かして俯瞰しつづけているだけなのだから/ああ、おのが太陽よ/おのが月よ/砕けるのをおそれるな

 四、題名「壁」
 壁は可動式かどうかにかかわらず季節の変わり目にくしゃみをする/それに則って我々は暴力的にも非暴力的にもなれるのだ/壁はほほえむためにいつも誰かのことを思っている/特に異性のことを/だからといって壁は恋愛を好まない/恋愛にはどちらかというと消極的なほうである/壁はときどき冷酷なまでに人を包囲し自らをも身動きのとれない状態に追い込む/そうしなければならない太古からの遺伝子が組み込まれているのだ/壁はやがて人々の安寧の役割を担うだろう/銃眼を設置し武器をそして食糧を保存するために大きな代価を払うことだろう/一身に砲撃を浴び/内部へ攻め込まれ/壁は血をしたたらせながら少しずつ崩壊するのにちがいない/崩壊したのち/壁のありとあらゆる場所から一気にあるいはゆっくりと流れ出す涙――/そのときこそはじめて壁は世界に気を許す/世界の感情に近づくことができるのだ

 五、題名「僕は明日に怯えていたい」
 僕はとても臆病な子どもだった。常にまわりの大人たちの顔色をうかがっていた。背後に迫るありもしない気配を警戒していた。特に夜――僕は眠るのが怖かった。目をつむることさえできず、頭の中をじわじわとしびれさす眠気に必死で抗っていた。《明日になったら僕は僕でなくなるだろう、朝日の出現とともに違う自分が目覚めてしまうだろう》僕はそんなことを考えて、心の底からおびえていたのである。つまり、そのころの僕は、今日という日と、明日という日をくっきり分けていて、今日の僕は今日しか存在していなくて、明日の僕はもう別人なのだと、そう思っていたのだ。《今日の僕はこの眠りと一緒にどこかへ消えてしまう。ああ、消えたくない、消えたくない、消えたくない》と。ときがたつにつれ、時間も空間もつながっているものだと納得できるようになり、一日の経過にたいしてなんの疑問も持たなくなった。しかし、本当に世界は地続きなのだろうか? 僕は、二十代なかばの僕は、こうまで安心して油断していていいのだろうか? 誰も本当のことを言わないだけで、眠りにつくとともに消えてしまう現象は起こり得るのかもしれない。起こらないと言いきることはできない。ああ、僕は昔みたいに弱虫になりたい。強くたくましい弱虫でありたい。知識をたくわえながらも、とことん無知でありたいのだ。

 六、題名「無題」(オートマティスム)
 雲は割れるな。ずっとそこにいろ。春も秋も一緒くたにやってこい。手を取り合ってこう叫ぶのだ。頭突きよ、聖なる頭突きよ! と。我々の科学が自然に帰る日はいつか?――ピカソよ、ごくろうさま。漱石よ、心をありがとう。優秀な音楽家のあくび。神話および聖書のすばらしい教え。思想はそこにあって遥か彼方だ。文明に目を凝らして、今。ベランダからとなりのベランダへと架けられた偉大なる物干し竿。も、の、ほ、し、ざ、お。整列しながらも無言でたなびいて。誰の手にも渡らぬ毅然とした洗濯物たちよ、こんにちは。だがツバメの営巣を慈しむ者はいない。無人の食卓に鎮座する夫婦茶碗。家出した結婚指輪。そしてそれにともない失われた記念日。恋人の時代も、幸福も、なにもかも無に等しい。悪の不在の悪。ではみなさん、静粛に。いっせーのー、せっ――で、叫ぶのです。それですべてがはじまります。いっせーのー、の、の、の……

 七、題名「無題」(ふと思いついたこと)
 〇言葉の一部しか見ていなくて、言葉全体を把握せずにいるような――今は、そんな状況にある。
 〇「さちなり」は、生まれながらにして百歳だった。生まれながらにしてそうだったのだ。
 〇僕は今、この現象を非常に危険だと感じつつも、抵抗の服を脱ぎ捨てて、おのが血管に流れているものをとらえようとしている。ただ、実在の僕は、不在の僕をうらやむことなどできない。
 〇帰宅するなり、恋人は、あたかも他人のもののように――自分の首を机の上に放り投げた。そしてベッドの上に突っ伏して、泣いた。
 〇今すぐ祈りを放て。祈りを放て。美しいものにあこがれつづけることこそ、もっとも美しい所作である。
 〇小川を泳いで。月の果ての本屋さん。三十分後に。
 〇僕の意志にそむいた、あの麦わら帽子は今、どこらへんを飛んでいるのだろう?

[追記]しばらく寝かせておいてから、また読み返してみよう。



     第三週(金曜日) 晴

[メモ]凄い韻律になればいいのさ――と吉増剛造は詩に書いていた。失明宣告を受けた人間が、最後に見る眼で、街を描写すること――と安部公房は『笑う月』に書いていた。

     *

 この日、僕は書店員に話しかけられた。行きつけの書店だったけれど、声をかけられたのははじめてだった。彼女は顔の色素が薄く、また化粧っ気がないのが魅力的だった。
「本、好きなんですね」と、レジカウンターの向こう側でほほえみながら、彼女は言った。
 僕はおそるおそるうなずいた。
「ちょっと、私にはわからないものが多いけれど」と、やはりほほえみながら、彼女は言った。
 そうかもしれない、と僕はやはりおそるおそる答えた。
 たったそれだけのやりとりだったのだけれど、僕は帰る道すがら、こんなことを考えていた。
 僕の好む本と、彼女の好む本とは、いったいどこにどんな差異があるというのだろう。僕の好む本とは、そして彼女の好む本とは、はたしてどういう傾向のものなのだろう。僕はこれまで、ちらっと立ち読みして、よさそうだと思ったら買うのが常だった。ほとんど第一印象に任せて買っていたので、その本の持つ魅力、あるいは僕の抱く感情など、まるっきり気にしたことがなかった。
 いい機会だからもっと深く掘り下げてみよう。
 僕が思うには、よい本というものは文章がつるつるしていないものだ。読んでいて視線が味気ない氷上をすべるような感覚あるいは錯覚が起こると、僕は、その本を買ったことにたいしてひどく後悔しはじめる。つるつるしていないもの、つまりある程度のざらざらがあるもののほうが、個人的には好きだ。
 視線は、僕の魂の分身だ。その僕の魂に、なんの引っかかりももたらさない、つるつるすらすらと読ませるものは、苦手である。
 つるつるすらすらと読ませるものはたしかに心地いい。けれど、そんな安物の心地よさで満足するようならば、いっそ電気屋でマッサージチェアでも購入したほうがまだましだ、と結論を下すのは、いささか早計だろうか?



     第三週(土曜日) 雪

[メモ]あーあ、またはぐれちまった、と一人ぼっちの鬼はつぶやいた。かくれんぼにかこつ鬼など見たくないのだけれど。

 こんなことは、たぶんきっと起こりそうもないことだけれど、僕は、小説あるいは詩の権威ある賞を受賞したときのために、スピーチ原稿を書いてみた。

〈ある雑誌である作家が、なるべく本名で作品を発表したほうがいい、なぜなら本名で語るというのは大変な覚悟がいるものだから――と、そんなようなことを書かれておられました。僕はそれを読んで本当に感激しました。ですが、僕には明確な名前がなく、どうしても偽名での投稿を余儀なくされました。悔しかったです。本当に悔しかった。もちろん今でも悔しくてたまりません。せっかく、僕の作品を名誉ある賞に選んでいただけたというのに、ここにいる僕は、本来の僕ではないのです! 僕は僕であって僕ではないのです!〉

 そしてお昼の一服を挟んでから、こう書き足した。

〈……少し取り乱してしまいました。ごめんなさい。ですが、僕は思うのです。僕の本名に等しい、僕の本名に匹敵するほどの偽名が――ほかの名前が、もしかしたらこの世界のどこかに存在するのかもしれない、と。逃げているわけではありません、むしろもっと本質に迫るべく、僕はそう考えるのです。たしかに、本名はその人の魅力を端的に、そして十全に物語っています。それは、一切の淀みも矛盾も混乱もない、まぎれもない事実です。しかし、それ以上に僕のことをうまく言い表している名前がないとは言えません。この僕に、もっと僕らしい輝きを持たせてくれる名前がないとは誰にも言えないのです。ですから、僕は今後、自分らしい名前を模索しながら作品を発表していこうと思います。このたびの受賞は、僕にとってすばらしい発見のとば口でした。そういった諸々の感謝も込めまして――本当に、ありがとうございました!〉



     第四週(日曜日) 大雪

[メモ]「箱がほしいです」/「僕もほしいよ。どこかによい箱屋さんがあればいいんだけど」/「……どんな箱がほしいの?」/「僕を僕として受け入れてくれるほどの寛容な闇を内包したもの」/「すごく似てる。私もほしい!」/「その闇は、むしろ光よりも明確で、とっても贅沢なんだ」/「その箱を売ってる箱屋さんが見つかったら教えてね」/「ああ、約束するよ」

 朝、僕はなかなか布団から出ることができなかった。ぼんやりと、これまでで最高の思い出とはなにかと考えてみた。
 僕にとって最高の思い出といえば、やはり自分の部屋を持ったときのことだ。僕の人生は平凡で、なんのスパイスもないけれど(故に満足している面もあるけれど)、この二階部屋を与えられたときのよろこびようといったらなかった。
 僕は小学校四年生だった。低学年から中学年に上がったばかりだった。その年ごろの一年一年はとても重要な意味を持つ。それに、こんなことを言うのはどうかと思うけれど、祖父母が相次いでなくなったのも大きかった。二つの事柄が重なって、僕は念願の自室を手に入れたのだった。
 それまでは父と一緒に寝ていた。書き物机の前で時折頭をかきながらせかせかと万年筆をすべらせていく父の姿を横目に、僕は、本を読んだり日記を書いたりしていた。内心ではいつも父の充血した目が怖かった。父がうめくたびに身をすくませていた。
 自分の部屋を持って二、三週間の、その期間の興奮はいまだに忘れられない。戻れるものならもう一度戻ってみたいと思う。
 そしてその記憶を呼び起こすと、決まって眠気がなくなり、いてもたってもいられなくなり――僕はようやくベッドから抜け出すことができるのだ。

     *

 昼ごろ、街中でばったり恋人と会ってしまった。恋人は年上の男性を連れていた。僕は僕で、年下の女性を連れていた。僕たちは「箱」にまつわる会話を交わして、別れた。

     *

 夕方、駅前の大型デパート店でふたたび恋人と出くわした。恋人は違う男性を連れていた。そして五、六歳の子どもと手をつないでいた。僕は僕で、違う女性を連れていた。僕たちのほうは母親とはぐれてしまった子どもと手をつないでいた(インフォメーションセンターへ案内しているところだったのだ)。
「自分の砦だよね」と恋人は言った。
「うん」と僕はうなずいた。
「あなたはたいそうすてきよ。北極の哲学者より、糠谷先生より」と恋人は言った。
「ありがとう」と僕は笑って答えた。
「またね」
「また」

     *

 恋人にはずっと思いを寄せている男の人がいる。高校に入って間もなく、彼女はその男性を一目見て好きになった。彼女は十六歳で、その男性は教師だった。彼女はよく、私の高校生活と糠谷先生とは切っても切り離せないくらい密接に関係しているの、と語った。そしてそれは今も深く深く残っているの、とも言っていた。
 僕は、彼女の口から「ぬかやせんせい」という存在が立ちのぼるのを、静かに聞いていた。決していやだったわけではない。でも、本音はいやだったかもしれない。どうしてわざわざそんなことを言うのだろう、と疑問に感じていたけれど、彼女の口を閉ざすことはできなかったし、したくなかった。彼女がそのことを語りたいのならかまわない、そう折り合いをつけていた(折り合い? いったいなにに?)。
 恋人はほとんど毎日のように生徒相談室へ通っていたらしい。そこにその教師がいたからだ。ほかの生徒がやってきても、彼女はその教師に向かってしゃべりつづけた。
 その教師はごく普通の中年で、むしろぱっとしないところがあったが、女生徒との噂が絶えなかった。何度か問題になったこともあったそうだ。そしてその教師は、彼女の気持ちに気づいていた(と恋人は確信しているみたいだった)。
 恋人は一度、その教師に胸を触られたことがあった。彼女はそのときの、その教師の手のひらのぬくもりを、いまだに大切に覚えている。

     *

 夜、僕はこんなことを思った。
 僕が彼女の本当の魅力に気づくのは、もしかしたら十年も二十年も先のことかもしれない。そのときにはもう取り返しのつかない事態になっているかもしれない。いや、きっとそうなっていることだろう。それが今、悪い夢を見たあとのようにありありとわかるのだ。だからといって、今から彼女に特別ななにかを差し出せるかといえば……どうだろう? 僕になにができるだろう?

 そして僕は恋人の架空の声を聞いた。
〈たぶん、そうだと思う。悲しいことに。私はもう十分なの。だから、これからは少しずつ、忘れていくでしょう。やがてすっかり失ってしまうでしょう。私たちは対等ではないから。あったものが、ある日、なかったもののようになって――〉

(真実を追い求めるとき、僕は決まって九つの子どものままだ。そう、今日出会った、迷子の男の子のように)

     *

 机に向かって言葉を吐き出していたはずだった。暴力的に書きなぐっていたはずだった。けれども、気づけば僕は声を上げて泣いていた。
 ある日突然、なにも書けなくなることが心底おそろしかった。体中を隅々まで探しまわっても、何一つとして見つからなかったらどうすればいい? 詩のかけらも、小説のかけらも、言葉のしずくさえもすっかりなくなってしまったら、ぼろ雑巾みたいにしぼってみてもだめだったら――
 たぶん、きっといつか、そうなる日が訪れるだろう、と僕はもうはっきりと確信していた。だから今、むやみやたらと泣きわめいているのだった。
 僕はその残酷な未来から逃れることができない。
 けれども、実は、心のどこかでそれを待ちわびている自分がいることも、また、はっきりと確信している。詩を、あるいは小説を書くことをまったく望まなくなった日――その日から、僕は、箸をもうまく握ることができるようになるだろう。能天気にあぐらをかくことが容易になるだろう。箸の持ち方も、あぐらのかき方も、今の僕にとってはとても困難なものだから。

[追記]僕はぼろ雑巾で、恋人の顔を拭うのになんのためらいもなかった。そして皮肉なことに、彼女も、ぼろ雑巾で僕の顔を拭うのになんのためらいもなかったようだった。僕たちは、つき合いはじめのころからずっと、そういう類の構造のもとで成り立っていたのだ。



     第四週(月曜日) 雪

[メモ]幸福という名のふしぎなところへ。けれども冬のこたつからは逃げられない。僕はある曲を求めて放浪する。その曲は価値あるすてきな曲だから。本当に。

 とにかく眠たかった。こんなにもひどい、まだるっこしい眠りの体験ははじめてだった。

 明け方近く、僕は旅先で何度も落とし穴にはまってしまった。その落とし穴はとても深く、悪意を感じさせる造りになっていた。僕は、うんうんとうなされながら地道に登っていかなければならなかった。

 そして僕は、土嚢を背負って気の遠くなるほどの道のりを歩きつづけた。僕は土嚢の眠りにもつき合わされた。実に四トンもの眠りだ。

 じゃあお会いできるのね、と誰かの囁きが聞こえた。
 もう待ちきれない歌が指先で窓をたたいているわ、と。

     *

   (夢のスケッチ)

 幻想の中の幻想……
 あるいは幻想の中の幻想の中の幻想……
 にもかかわらず幻想の中の幻想の中の幻想の中の幻想……

   (現実のスケッチ)

 僕は路地裏の真ん中で……
 僕はなおも路地裏の真ん中の路地裏の真ん中で……
 僕はけれども路地裏の真ん中の路地裏の真ん中の路地裏の真ん中で……

     *

 お金が溜まったら世界のなにかを買えるかな? と僕は寝言を言ったらしい。



     第四週(火曜日) 晴

[メモ]見えるように、見えないように――まぶたは常に孤立して逡巡しつづける生き物である。

 実を言うと、僕は一度、詩を書いたことがある。
 彼女とつき合いはじめのころだった。なかなか待ち合わせ場所にやってこない彼女を待ちわびながら、ふと思いついた言葉をメモ帳に書き記した。あとで見返してみると、それはまぎれもない詩だった。僕はゆいいつ、それを、それだけを、詩だと認めている。
 タイトルはないけれど、それはこんな詩だ。

  僕は先に行ってるけど
  君も早く来いよ
  自転車盗んででも
  そこには今夜
  ほんものが流れるらしい
  たくさんたくさん流れるらしい
  いっしょにながめよう!

 メモ帳のその箇所にはちゃんと栞を挟んでいる。僕はときどきその詩を読まずにはいられない。だって、それは僕の書いた、愛すべき最初の詩なのだから。あるいは、最初で最後かもしれない、奇跡の詩なのだから。ひっそりと読むこともあるし、声に出して読むこともある。さすがにまだ、逆立ちをしながら読んだことはない。

     *

 また、僕には気に入っている文章がある。それは先の詩よりも少し前――まだ恋人と知り合っていないときに、何気なく書きとめたものだ。

 ボールペンはもはや、本来の光輝を失ってしまったのだ!
 ボールペンは誕生して間もなく、そのシンプルさ故に文具界に革命をもたらした(たぶん)。人々はたちまちボールペンを愛するようになり、ボールペンのほうも人々を愛してやまなかった(きっと)。万年筆派からもタイプライター派からも、敬遠されるどころか、双方の支持をすんなりと獲得してしまった。ボールペンを批判する者は誰一人として現れなかった。
 ボールペンの魅力は、なんといっても謙虚さである。極限までむだを削り落とした機能性と同時に、常にこちらの顔色をうかがうような、うかがいつつもそこにまったく嫌味の感じられないところが、いいのだ。
 しかし、ボールペンはもはや、本来の光輝を失ってしまったのだ! と僕は声を大にして言いたい。
 ボールペンにはなにも罪はない。悪いのは彼らではなく、僕たち人間のほうである。
 僕たちは日々彼らを愚弄しつづけている。僕たちは思いつくままに、彼らに小型カメラを仕込んだり、ボイスレコーダーの機能を搭載してみたり、お尻に意味もなくライトを備えつけてみたり――シンプルでつつましいはずの彼らを、大いにもてあそんでいる。中でも一番ひどいと思うのは、ボールペンの外部に女性のイラストが描かれていて、見る角度によってはその女性の服が透けてしまうという、実にばかばかしい細工が施されているものだ。
 僕たちはボールペンの本当の魅力を忘れかけている。僕たちはもっと彼らの本質について考えるべきだ。考え、愛し、そして敬意を払うべきなのだ。

     *

 そうすると、僕がいまだに書いていないものは、小説だった。
 僕は子どものころから本が好きで、その中でも小説が好きだった。それなりに多くのものを読んできた。父親の影響もあったし、若いうちに作家デビューした、いとこの影響もあった。家にやってくる詩人や作家の影響もあった。
 みんな書いている。あとは僕だけだ。

 僕は机の上に四百字詰原稿用紙を出し、そしてペンを持った。



     第四週(水曜日) 晴

[メモ]いささか逆説的かもしれないけれど、すべての人に永遠を与えるよりも、たった一人の人に永遠を与えるほうが、何倍も難しい。その一人の人に向けて、僕は書く。

〈最初の記憶は、白い砂の城である。つぎによみがえるのは蜂蜜売りの少女のほほえみ――僕は六、七人の友人らと力を合わせて、その蜂蜜樽をひっくり返したのだ。少女は、しかしほほえんだままだった。〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

〈僕はある書店員に恋をした。彼女を振り向かせるにはどうすればいいか、考えてみた。
 一、大量の本をレジに持っていって彼女を驚かせる。(月並みだ)
 二、この世界でもっとも美しい装丁の本を取り寄せてほしいと無理なお願いをしてみる。(それもやや月並みだ)
 三、ほかの書店員――店長が望ましい――を人質にとり、つき合ってほしいと脅迫する。(きっと嫌われるだろう)
 四、知的な羊飼いに扮して来店し、そして店内に大量の羊を放牧する。(だからといって、どうなるわけでもない)
 五、白馬にまたがって彼女の目の前に現れ、紳士的なほほえみとともに手を差し伸べる。(もう時代遅れにちがいない)〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

〈これからは、ひとつびとつ、ていねいに終止符を打っていこう。その日、僕は決めた。一歩ずつていねいに、規則的に打ちつづけることで、僕の真価は確定されるのだ。〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

〈夜、少年は二階部屋の窓から一キロほど向こうにある工場を眺めていた。ほどなく、その工場は身をぶるぶるとふるわせて、稼働しはじめた。煙突からきらきらと光り輝く星が、いくつもいくつも吐き出されていくのを、少年は〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

〈森の中を、一頭の馬が走っている。透明な息を吐き、もの憂い熱気を立ちのぼらして。
 そのたてがみは、波打ちながら、後方へと引き伸ばされていく。同じように、影も、どんどん引き伸ばされていく。たてがみと、影の、長い横断幕。
 主はすでに振り落とされてしまっている。やさしい、慈悲深い人間だった。馬は彼のことを好きだった。だから馬は、本当は引き返したかった。しかし引き返すことなどできないのだった。
 馬は前に進む生き物である。立ち止まるのは、その命を神のもとに還元するときである。
 やがて空から無数の矢が降ってきて、いくつか馬の背中に突き刺さる。馬は悲鳴を上げたがそのまま走りつづけた。
 体のあちこちから血が流れはじめた。けれども、その血のぬくもりが馬に重大な決心を与えた。たとえ亡霊となっても突き進もう、と馬は思った。何度も何度も、やまない音楽のように胸のうちで〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

〈ある日、部屋の本棚から一冊、本がなくなっていた。けれど、いったいどの本がなくなってしまったのか、判然としない。友人に電話すると、彼は、一瞬おどおどした態度をのぞかせたが、すぐにいまいましそうにこう吐き捨てた。おまえの本棚から抜け出したのは、実は俺なんだ、と。そのあとで僕は、念のため恋人にも電話をかけてみた。彼女も、やはりいまいましそうにこう吐き捨てた。昨日あなたの本がうちに来て、私の本にいやがらせをしたわ、そして私の本も狂ったように暴れ出しちゃって! 僕は怖くなって電話を切った。〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

〈幸福はなんともひねくれた奴だ。僕がそれを口ずさむとき、それは十全ではない。僕がそれを、その存在をすっかり忘れたときこそ――たぶんきっと――十全なのだろう。〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

〈僕は、どこにでもある憂いにちなんで、路地裏の片隅でうずくまり、人の気配におびえながら小便をしている少年の恍惚を見逃さない。〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

〈平日の午後の、穏やかに晴れたその峡谷で、腕が三本折れる音を聞いた。想像するには、二本は同じ人物のもので、もう一本は、人とは思えないもののようだった。しかし、腕は腕だ。僕は、羽虫の軌跡になにか適切な数式を当てはめれないものかと思いながら、足もとに置かれた麦茶のひややかな視線にぎょっとする。しばらくして今度は、首の折れる感触があった。ほかでもない、この僕の首である。時間は生真面目な人体への負荷を手なずけて〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

〈僕は週に五日間、他人の内臓の清掃に当たり、残りの二日間は自分のための時間を――といっても、結局のところ我らが偉大なる葉脈のためだったり、なんでもない一杯のコーヒーのためのものだったりするが――大いに満喫している。僕は、「私は……」とか、「俺は……」とか、声色を変えて使い分けることができるけれど、けれども基本的に、「僕は……」で一貫させている。「僕は……」というのが、いちばん心地よく感じられるからだ。また、「私は……」はいろいろな嘘の角度から用いることができるし、「俺は……」はたいていいらだちを表す。ただ、だからといって、「僕は……」に公平な尾翼が備わっているわけではない。ときと場合によっては――〝韜晦〟に成りすます要素を含有していることもあり、〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

〈寡黙に柿を吐きつづける先は、星の降る真夜中。その旋律において、白い砂上を滅ぼす一滴の槍から、緩慢にそしてうやうやしい手つきで、心音を分かつ、たった数秒のすきまをくぐり抜け、基本に戻るためのテキストを探す。僕の左手は、あるいは庇の下の生命を飛び越えて。一対の悲しみが笑いをこらえながら森林に帰宅する前の煙草屋は、入り口とも言えず、水色の手袋を捨て去った。捨てるのは、はたして突っかけを脱ぐのと同様の効果を示せるか。もし眼前に牛の肥溜めが映り込むのなら、即刻拒絶しなければならない。なぜなら雨戸を戸袋にしまうようなものだから。再燃、と何度もつぶやく。蛇の皮を財布に入れておくのも一種の快楽で、不作にうなされる畑の声を透過して――しかし、それは逼迫で、そしてそれは慟哭で、影をむしばもうとする太陽の驕りを黙殺している湖に、座り、立ち上がるまでに生まれた私淑の数をかぞえながら、僕は、書生の卵を温める雌鶏だった。〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

〈なんだ? 白くなったって。
 なんだ? 白くなったって。
 なんだ? 白くなったって。〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

〈ドアノブをひねるとき、僕は自分にまつわるありとあらゆる真実を知ることができる。どうしてドアノブをひねるときか。どうして蛇口をひねるときではないのか。それはわからない。ドアノブよりも、むしろ〝ひねる〟という動作にヒントは隠されていると思うが、とにかくその動作が一つのきっかけになっているのは自明だ。
 身のまわりのものを客体としてとらえるのは難しい。つまり、そこまで人は自分の目に甘いのだ。落ち込んでいたり、浮かれていたりして、自分の視野が狭まっているとき、そのドアノブをひねる動作によって生じる真実は、僕を、父親のように、また母親のようにきびしく叱りつけてくれる。〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

〈ありとあらゆるものがありとあらゆるものにこびていて、ありとあらゆるものはありとあらゆるものからこびられている。
 ありとあらゆるものと、ありとあらゆるものでないものと、ありとあらゆるものとしての一つのものと、ありとあらゆるものとしての複数のものと――そして、ありとあらゆるものを書くことのできる僕は、本当はなんでもないのだ。〉

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた。

     *

 そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた……そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた……そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた……そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた……そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた……そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた……そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた……そこまで書いて、僕は原稿用紙を破り捨てた……そこまで書いて、僕は原稿用紙を……………………

(了)
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