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記事一覧

足立悦男さん講演会「尾崎放哉と自由律俳句」(六月九日、鳥取市文化センター)

二〇一九年度 鳥取文芸協会 講演会「尾崎放哉と自由律俳句」講師 足立悦男氏(島根大学名誉教授)一九四七年境港市生まれ。広島大学大学院(修士)修了。退職後、創作に専念。尾崎放哉をテーマとした作品に「ふたりしずか」晩成文学賞(平凡社)佳作、「和解」鳥取文芸賞がある。日時 二〇一九年六月九日(日)   午後一時三十分~三時三十分会場 鳥取市文化センター 二階大会議室   鳥取市吉方温泉三丁目七〇一   入...

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ふいの風とともに

ふいの風とともに幼い日の「ぼく」がすばやくぼくを追い越してゆくいつかぼくはその「ぼく」をつかまえられるだろうかあるいはもう二度と声をかけることもできないのか風がぱたりとやんで「ぼく」がふりかえり手をふってくれるころにはぼくはきっと人生も晩期にさしかかっていることだろうぼくは「ぼく」に〝さよなら〟を告げられるだろうか親しみのあるほほえみを浮かべられるだろうか過ぎ去ったもののなかに佇んだまま風のゆくえ...

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五月

寺尾紗穂 - ​幼い二人オノレ・ド・バルザックは1850年の夏に51歳で死んだ。そしてぼくのじいちゃんは昨年の秋に85歳で死んだ。バルザックとじいちゃんは、もうこの世にいないこと以外、なんの接点もない。じいちゃんは本を読まないひとだったし、芥川龍之介や夏目漱石、森鴎外くらいは知っていても、幸田露伴や永井荷風になると、たぶんきっと、わらってごまかすか、知ったかぶりをするか、そのどちらかだったろう。では、...

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五月――晴耕雨読――

OLD DAYS TAILOR - 晴耕雨読雨の日の窓というのはどうしてこんなにも完璧に悲しみのかたちをしているのだろう。あまりにも悲しみを象徴するものだから、だからまた、悲しみに慣れきっているようにも見えるのだ、それが悲しみの完璧さとしてよくあらわれている。(雨の日は、窓は決まっておぼえたての雨のしぐさで泣こうとする。)しっとりと、しかも切れ目なくふる雨だった。網膜にも鼓膜にもまといつくような、そんないやな感覚が...

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五月

Hiroshi Fujiwara + Shinichi Osawa Feat. Crystal Kay - Lost Child (Dub Version)鳶が舞えば空はまるくなる(ひとは、どうだろう?)。風のながれのなかに、ふと尖った部分があらわれる。それにふれるとぼくはこの皮膚の薄さにうちのめされてしまう。ひとは容易に風に飛ばされてしまうし、だから、風よりもずっと軽い存在なのだ。もしかしたらたましいのほうが何倍も重いのかもしれない。だとすれば、たましいを支えているのはな...

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フナイタケヒコ展(2019年5月2日~5月7日)

あなたは知っているだろうか息と視線、どちらが先か一滴の雫ほどのことだとしてもカンバスは水面を揺らめかせて珊瑚の森や古代都市の幻影を粧う籐で編んだ果物籠のような乗り物に乗り込んで自らの行方をかき消すように進んでゆくふるえる呼気や地名をも拒む地図まばゆい余白の逆光に喰われ維管束から波頭へ押し戻されときには天使たちの噂話に惑わされながらもたった一瞬でいくつもの季節をめぐったかのようにあなたはふと気づけば...

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五月

 平成の終わりごろから(そんなふうにいうと、ずいぶんと間遠い過去のようだが)ずっとつづいている体調不良を引き下げて市内の急患診療所へ。 待合室で、「ちょっと不謹慎かな?」と思いつつも、キルケゴールの『死に至る病』を読んでいると、すぐ横にいた、目がくりくりしたややおかっぱ風の女の子が「何読んでるの?」と訊いてくるので、「生きるエネルギーがたくさんつまった本です」とうそぶいてみたものの、あとから考えて...

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