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記事一覧

群衆(12)(絵・ひがしもとしろう)

 いつの間にか私の横に酔っ払いがいる。酔っ払いは片目でウイスキーの壜の底を覗き込みながら、何やらぶつぶつと呟いていた。 ……この中にある。 宇宙の誕生の瞬間が。 まるで動物だ。 誰にも理解されることのないまま、 望まれないまま、 ひたすら歩く、ケダモノだ……。...

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群衆(11)(絵・ひがしもとしろう)

 やがて東の空が白み始めた。その現象はまるで聞き届けられた祈りそのものだった。山の稜線からこぼれた朝日の最初の一筋が目にまぶしい。川沿いの道にはまだ霧の切れ端が残り、ゆらゆら揺れている。 息を吸い込むと、混じり気のない新鮮な空気が私の肺を驚かせた。 塗装店や梱包資材店、自転車屋や不動産屋、畳屋、靴屋、本屋などのシャッターの前を通り過ぎるたびに、一人、また一人と、口を閉ざし、押し黙ってしまう。中には...

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十月(みずどり、みみず、みずいろの風)

Frank Harrison Trio - The Riddle Song旧暦のみずどりの弦が不法にも岸辺のまどろみを引き裂く十月その直観にたえずなにかをさがすふりをしながら季節はずれのむなしさがたちまちたびびとの祖型を呼び寄せる   *ときどき、石を拾う。その固有の手ざわりのなつかしさを、なつかしむために。ひとそれぞれ、こんなふうに固有のなにかを――いたみやきしみを――かかえながら生きているのだ、なにもじぶんだけではないと、なんどもじ...

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群衆(10)(絵・ひがしもとしろう)

 幼かった日のように……。 ピエロが指揮をとる。 幼かった日のように、思い出せそうで思い出せない……幼かった日のように……幼かった日のように、忘れそうで忘れられない……幼かった日のように……幼かった日のように……幼かった日のように、すべては遠く、美しい……。 私は、疲れて縮こまった脳みそから、今日という日が、いったいどんな日だったか、今日という日に、いったい何があったのか、できるだけ忠実に記憶を引き出そうとした...

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群衆(9)(絵・ひがしもとしろう)

 僕たちを誘導しているのは、月の魚。月の裏側からやって来た月の魚だよ! そして、その月の魚を誘導している人もいるよ! その人は釣り師だよ! 名前のない一人の釣り師。どこかにきっと月から垂れ下がった糸があるはず! みなさん、間違って尖った針を飲み込んではいけないよ! いけないよ! いけないよ! 何度か駅前の噴水広場で見かけたことがある。ジャグリングというのだろうか、ゴム製のボールやシルクハット、小さ...

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十月(バルザック、てんとう虫、読書家)

『誕生』 中村 中オノレ・ド・バルザックは1850年の夏に51歳で死んだ。そしてぼくのじいちゃんは昨年の秋に85歳で死んだ。バルザックとじいちゃんは、もうこの世にいないこと以外、なんの接点もない。じいちゃんは本を読まないひとだったし、芥川龍之介や夏目漱石、森鴎外くらいは知っていても、幸田露伴や永井荷風になると、たぶんきっと、わらってごまかすか、知ったかぶりをするか、そのどちらかだろう。では、なぜぼ...

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群衆(8)(絵・ひがしもとしろう)

 群衆は、生きている。成長していっている。ひたすら移動し続けることで、人々を巻き込み、人々の言葉を食べている。そう、群衆が欲しているのは、私たちではなく、私たちの言葉なのだ。群衆は、私たちが発する一つ一つの言葉に注意深く耳を傾けながら、復唱し、インプットしようとしているのだ。 私たちの言葉。 私たちの言葉を。 私たちの言葉のみを。 だから、もしかしたら、群衆の中から脱走した者、野良犬の道を選んだ者...

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十月

ゲルニカ「蘇州夜曲〜復興の唄」ひとがたくさんいてにぎわっている海岸沿いを車で走っている。時折ぼくはアクセルを踏みこんで、あなたをおどろかせる。車は見事、ガードレールかなにかに追突(しかし奇跡的に無傷)。それから海辺の村を歩きつづけるが、一向に帰れない、帰る方向さえわからない。あなたはタクシーを呼ぶという。ぼくは意地でも歩きつづける。海辺には変な生きものがうじゃうじゃいて、まるで、海水浴客が全員、海...

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群衆(7)(絵・ひがしもとしろう)

 誰かが農協の跡地に入っていった、という情報が流れてきた。本当かどうか判然としないが、とうとう離脱者が現れた、らしい。……離脱者。あるいは、脱走者が。 馬鹿な奴! 俺たちは、群衆の中にいる以上、安全なんだ。亀が吐き捨てるように言う。ここから抜け出しても野良犬になるだけさ。一匹の野良犬になって、人影のない、物音一つしない寂しい街をさまようしかないんだ。 でも、別に犬になることは、哀れなんかじゃない。女...

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日笠芙美子さん詩集『夜を旅するもの』(二〇一八年九月、思潮社刊)を読む

 雨、というのは、あるいはぼくたちの無名性を語るのにうってつけの現象かもしれない。ふいにふりはじめ、ふいにやむ。どこからともなくやってきて、ふたたびどこでもないところへ帰っていく。なんどもなんども、くりかえしくりかえし、この世界がここから消えてなくなるまで。 ハッカ飴をほおばったまま窓外へ視線をむけていると、じぶんじしん、なんともふたしかな、あやふやな存在のようにおもえてくる。近所の子どもが、川辺...

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